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浅見 絅斎(あさみ けいさい、承応元年8月13日(1652年9月15日) - 正徳元年12月1日(1712年1月8日))は、日本の江戸時代の儒学者・思想家。名は重次郎。諱は安正。筆名として望楠楼。 == 来歴 == 近江国(現滋賀県高島市)に生まれる。はじめ医者を職業としたがやがて山崎闇斎に師事し、後世、闇斎門下の俊英3人、すなわち崎門三傑の一人に数えられる。後年に至って、闇斎の垂加神道の説に従わなかったために疎遠となったが、闇斎の死後は、神道にも興味を示すようになり、香を焚いて罪を謝し、闇斎の所説を継述するに至った。門下に、若林強斎(守中霊社)・山本復斎(守境霊社)等がいる。その尊王斥覇論は徹底しており、足、関東の地を踏まず、終生、処士として諸侯の招聘を拒み、明治維新の原動力の一つとなった。 主著『靖献遺言』は、1684年から1687年にかけて書かれた。屈原、諸葛孔明、陶潜、顔真卿、文天祥、謝枋得、劉因及び方孝孺の8名の評伝の形を取っており、幕末のいわゆる志士たちに大きな影響を与えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅見絅斎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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