翻訳と辞書
Words near each other
・ 浅野智治
・ 浅野有生子
・ 浅野本社
・ 浅野村
・ 浅野村 (兵庫県)
・ 浅野村 (香川県)
・ 浅野柚奈
・ 浅野栄一
・ 浅野梅堂
・ 浅野梅若
浅野正恭
・ 浅野正敏
・ 浅野正紀
・ 浅野氏
・ 浅野氏祐
・ 浅野氏重
・ 浅野洋一郎
・ 浅野清治
・ 浅野温子
・ 浅野潤一郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

浅野正恭 : ミニ英和和英辞書
浅野正恭[あさの まさやす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

浅野正恭 : ウィキペディア日本語版
浅野正恭[あさの まさやす]

浅野 正恭(あさの まさやす、慶応3年12月28日1868年1月22日) - 1954年(昭和29年)10月20日)は、明治大正昭和初期の日本海軍軍人海軍中将正四位勲二等功五級。予備役後、退役後、新宗教大本」に入信、脱退後は弟 浅野和三郎の心霊研究団体に参画。和三郎の死後その団体の主導的役割を担い、著作も多い。軍人時代に「あさのしょうきょう」と表記したことがある。
== 経歴 ==

=== 出生 ===
浅野正恭は、茨城県の最南部の利根川下流のほとり、源清田村(現・茨城県稲敷郡河内町)に生まれる。代々医を生業とする浅野家の、父元斎(げんさい)(婿入り)と母かんの次男〔#神の罠11頁〕。和三郎は三男〔。

=== 海軍での経歴 ===
*1885年明治18年)11月21日 海軍兵学校に入学。
*1889年(明治22年)4月20日 海軍兵学校を卒業(海兵15期)。
*1892年(明治25年)12月21日 海軍大学校丙号学生(1893年(明治26年)卒業)
*1896年(明治29年)7月7日 海軍兵学校砲術教官兼監事
*1899年(明治32年)9月29日 海軍少佐
*1900年(明治33年)2月12日 砲術練習所教官兼海軍機関学校教官
 * 6月14日 海軍機関学校教官と陸軍要塞砲兵射撃学校教官を兼任。
*1902年(明治35年)1月18日 海軍大学校選科学生
*1903年(明治36年)7月7日 海軍大学校教官
*1905年(明治38年)1月12日 防護巡洋艦松島」副長・海軍中佐
*1907年(明治40年)2月28日 戦艦鹿島」副長
*1907年(明治40年)12月10日 再び海軍大学校の教官となり、1911年(明治44年)まで務める。
*1910年(明治43年)3月19日 海軍大佐
 * 12月1日 造船監督官としてイギリス出張し、1911年(明治44年)4月まで務める。
*1913年大正2年)12月1日 一等戦艦「朝日」艦長
*1914年(大正3年)12月1日 呉工廠砲煩部長・造兵監督官
*1915年(大正4年)12月13日 海軍少将勅任官
*1919年(大正8年)6月1日 海軍技術本部出仕
 * 12月1日 海軍中将・待命
*1920年(大正9年)8月1日 予備役
*1932年昭和7年)12月28日 海軍を退役〔『日本海軍史』第9巻、将官履歴上。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「浅野正恭」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.