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浅野 起州 (あさの たつくに、本名・浅野金六、1952年10月1日 - )は、日本の実業家。インディ系プロレス団体・I.W.A.JAPANプロレスオーナー兼代表取締役である。宮城県岩沼市出身。IWA・JAPANではオカマキャラ及び口調で通している。 == 経歴 == 出身は宮城県であり、当初は地元で事業を行っていたものの行き詰ったことから、23歳の時に上京。朝は定食屋、昼は喫茶店、夜はキャバレーでレジ係として働いて資金を貯めて、数年後に新宿2丁目に第1号店を開店したとされる。 最盛期には新宿を含めて27店(新宿のみで24店)を構え、本屋、蕎麦屋、居酒屋等を運営していたものの、現在は約10店舗に集約されている(尚、店舗の多くは転貸としており、IWA・JAPANに選手として在籍していたチョコボール向井が経営する店舗も浅野が転貸しているとのこと)。浅野自身が運営する店舗としては定食屋「花膳」が最も知られており、IWA・JAPANの記者会見場としても度々登場している。 また、過去には全日本プロレスや全日本女子プロレスの興行プロモーターとしての経験もあり、この関係もあってプロレスリング・ノア首脳との繋がりは深く、現在ノアで行われている「のあのあくじ」も、在庫処分で儲かるからと浅野が勧めたものである(後にノアと姉妹団体の関係にあったZERO1の「ぜろぜろくじ」、元IWA・JAPANのさくらえみが旗揚げしたアイスリボンの「わらびくじ」など同様の企画が行われている)。一方、全女では経営危機に伴う選手大量離脱の際に、IWA・JAPAN所属の女子選手を助っ人として参戦させている。 IWAジャパンとは当初後援者の内の1人という立場であったが、同団体の経営が迷走する中で1999年頃よりIWA・JAPANの代表取締役に就任、2000年2月には「レスラーデビュー」も果たしている。そのため週刊プロレスの選手名鑑でも選手と同様プロフィールが公開されている。IWA・JAPANはエンターテインメント色を打ち出した運営でマニア層からの支持を受け、小規模ながら新宿FACE等を会場として継続的に興行を実施。また、浅野自身も東京スポーツの毎週火曜日「ファイトクラブ」のコーナーで不定期に相談コラムを執筆する等、幅広く活動していた。 しかし、2014年2月に脳梗塞を発症。通院治療により症状は収まったものの、以後も体調面に不安を抱えていることから、2014年10月13日の新宿FACE大会をもって浅野は引退し、IWAジャパンも活動を休止する方針となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅野起州」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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