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浅間高原自動車テストコース(あさまこうげんじどうしゃテストコース)とは、群馬県浅間山麓に存在していたレースコース(サーキット)。日本初のメーカー参加レースである全日本オートバイ耐久ロードレース(通称:浅間火山レース)の舞台となった。ただし第1回浅間火山レース(1955年)の時点ではまだコースが完成しておらず、北軽井沢の公道を封鎖してレースが行われた。 == 歴史 == 昭和31年(1956年)6月、国内2輪製造19メーカーによる「社団法人浅間高原自動車テストコース協会」が設立された。コースが設けられたのは群馬県と嬬恋村が所有していた土地(牧草地)で、テストコース協会と通産省(当時)が建設費を負担し、群馬県と嬬恋村から土地を借りる形でコース建設が始まった。 テストコース協会設立に参加したメーカーは、ホンダ、トーハツ、スズキ、トヨモーター、メグロ、クルーザー、ポインター、ヤマハ、ライラック、ヘルス、アストンマーティン、メイハツ、ツバサ、ラビット、アサヒ、陸王、フジ、DSK、ホスクの19社である。 昭和32年(1957年)7月にコースが完成した。よって実際に浅間火山レースの舞台として用いられたのは、第2回(1957年10月)と第3回(1959年)のことである。 浅間高原自動車テストコース協会は1978年に解散。2輪車メーカーが4社にまで減り、群馬県から土地の返還を求められていたのが要因とされる。以降はテストコースとして用いられることもなくなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅間高原自動車テストコース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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