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浜のミサンガ 環(はまのミサンガ たまき)は、岩手県大船渡市の越喜来をはじめとする三陸地方(岩手県、宮城県)で製作されていたミサンガ。2011年(平成23年)の東日本大震災以来の三陸の雇用創出を目的とする「三陸に仕事を! プロジェクト」の企画によるもので、震災により仕事を失った女性たちの手で、三陸の漁網を材料として製作された。2011年6月の販売開始から2013年(平成25年)のプロジェクト終了まで驚異的な売上を記録したとともに、被災者たちの精神面にも大きな効果をもたらしており、全国的な評価を得た。 == 沿革 == 「三陸に仕事を! プロジェクト」は、東日本大震災で仕事を失った女性たちの支援のため、仙台放送、岩手めんこいテレビ、博報堂の3社の共同により設立された。震災による失業者向けの再就職口としては、瓦礫撤去など男性向けの力仕事が多く、女性の再就職は困難な傾向にあった〔。そうした中、手先の器用な浜の女性に向いた仕事として、浜の女性らしい物、見るたびに震災や津波を思い出せる物として、漁に使用できず放置されている漁網を再利用してミサンガを作ることが発案された〔。 また、「三陸に仕事を! プロジェクト」の事務局長である雫石吉隆(博報堂)は、震災後に大きなショックを受けている人々の中で、かつて浜の仕事をしていた70歳代の女性が避難所で1日中働いている姿を見て、仕事を与えることで人々を元気にすることを思い立ったという。 材料となったのは、三陸の漁網工場の倉庫に放置されていた未使用の漁網であり、この漁網製の太いミサンガと麻紐製の細いミサンガを1つのセットとして、「浜のミサンガ 環」が完成した〔。「環(たまき)」とは日本古来のブレスレットの呼称でもあり、「物」「思い」「コンセプト」それぞれが三位一体となっている言葉として名付けられた〔。 2011年4月下旬に製作者たちが集められ、5月中旬から本格的な製作が始められた〔。製作者は当初は越喜来の地元漁師の妻など、平均年齢50歳代の女性たちが10数名だったが、後述のように評判を呼ぶにつれ、岩手県内には三陸と釜石市に製作者チームが置かれ、さらに宮城県にも南三陸町歌津、石巻市、東松島市にチームが発足した〔。当初の越喜来だけでも製作者は40人に増え〔、ほかにも岩手の陸前高田市や釜石、大船渡市、上閉伊郡大槌町、下閉伊郡山田町、宮城の石巻や南三陸町など、津波で大きな被害を被った地域の女性たちが製作に参加し、2011年12月には製作者は東北全員で280人を超えるまでになった〔。最年少は19歳で、2011年春から就職するはずだった職場を震災で失った高卒の少女であり、最年長は75歳〔。中には夫婦そろって震災で職を失い、ミサンガ製作で一家の担い手となった主婦もいる〔。 震災から約1年半後の2012年(平成24年)9月には、製作者への賃金配分が、売上全体の52.4パーセントから45.5パーセントに引き下げされた。これは、熟練した製作者は時給が1000円を超えており、これがむしろ本業復帰の妨げになる恐れがあるため、製作を支援する事業から、小さくても地域の正業になる事業へ移行させるため、売るコストに配慮することが狙いとされる〔。また博報堂は、ミサンガの製作者は一部を残して卒業させ、被災地ツーリズムの活動や食堂経営など、地元の新産業への移行を促していた〔。震災翌々年の2013年時点では、宮城の製作チームも本業復帰を第一とするため、参画から1年で製作を終了することが決定しており、最終的には同2013年12月、約1億2千万円の収入をもって生産を終了した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜のミサンガ 環」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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