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熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)、または大神社(おおみわやしろ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神の三神を主祭神とすることが名称の由来とされる。主祭神像三躯は国の重要文化財に指定されている(美術工芸品、1982年〈昭和57年〉6月5日指定)〔昭和57年文部省告示第98号〕。 九十九王子のひとつである浜の宮王子の社跡〔王子社殿は宝永の津波で流失した〕に建つため、浜の宮大神社(はまのみやおおみわしろ)とも呼ばれる。浜の宮王子の守護寺である補陀洛山寺が隣接しており、神仏習合の名残をみることができる。境内は浜の宮王子社跡として、国の史跡「熊野参詣道」の一部(2000年〈平成12年〉11月2日指定)。 == 歴史 == 古くから熊野那智大社の末社で、『中右記』天仁2年(1109年)10月27日条に「浜宮王子」と見える〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会編233 〕。平安後期頃の神像3体(大山祇命、天照大神、彦火火出見命)が伝来していることから熊野三所権現が祀られていたと考えられているが、江戸時代中期に著された地誌『熊野巡覧記』は異なる神名を挙げており、時代によって祭神が変化していたようである〔。江戸時代の沿革は未詳だが、濱ノ宮村の産土神として崇敬されていた。明治の神仏分離に際して補陀洛山寺から独立して村社(明治6年〈1873年〉)となり、明治末年に現社号にあらためられた。 『平家物語』巻10に平維盛が一艘の舟に命運を託して出向するさまが描かれたり、那智大社ほか各所所蔵の那智参詣曼荼羅〔那智参詣曼荼羅の遺品は、田辺市・闘鶏神社本、新宮市正覚寺本など数十点が現存する。(参照:奈良国立博物館編『西国三十三所観音霊場の祈りと美』(特別展図録)、2008、p285)〕に社前の浜から渡海船で出航する渡海僧が描かれているように、補陀洛山寺とともに補陀洛渡海の伝承地である。 また、境内には振分石(ふりわけいし)と呼ばれる石柱が残されている。中辺路・大辺路の分岐点には諸説があるが、那智を分岐点とする説によればこの石柱がそうであるという〔紀南文化財研究会・熊野歴史研究会83、95 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊野三所大神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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