|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 浜 : [はま] 【名詞】 1. beach 2. seashore ・ 浜木綿 : [はまゆう] (n) crinum ・ 木 : [き] 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber ・ 綿 : [わた] 【名詞】 1. cotton 2. padding ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
浜 木綿子(はま ゆうこ、1935年10月31日 - )は、日本の女優。元・宝塚歌劇団雪組トップ娘役。 東京市目黒区生まれ、大阪府豊中市「梅花中学校・高等学校」出身。宝塚歌劇団時代の愛称は本名から「アツコ」。 == 来歴・人物 == 1953年に宝塚音楽学校を経て、宝塚歌劇団に入団。宝塚歌劇団40期生。同期生に那智わたる・藤里美保・麻鳥千穂らがいる。宝塚入団時の成績は64人中3位〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、50-51頁。ISBN 9784484146010〕。入団当初娘役として、春日野八千代、明石照子、寿美花代などを相手に『恋人よ我に帰れ』、『青い珊瑚礁』などでの演技ぶりでその存在を認められ、『がしんたれ』、『がめつい奴』など外部出演も多かった。 1961年4月30日〔 付で、宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は『残雪/華麗なる千拍子〔映像が現存し(モノクロ映像)、2013年9月25日放映の『出張! 徹子の部屋パート6 夢トーク豪華4本勝負 お宝映像も大放出スペシャル』(テレビ朝日)の中で、浜がソロで歌っている部分の映像が紹介された。〕』〔。その後は東宝現代劇と契約、舞台女優として『悲しき道具』(1962年)で文化庁芸術祭奨励賞、『湯葉』(1973年)でゴールデン・アロー賞演劇部門賞など数々の賞を得る。 1980年代から2000年代前半にかけては2時間ドラマの主演女優で多彩な役をこなし、お茶の間の人気を数々のシリーズで得た。特に『女保険調査員シリーズ』『女監察医・室生亜季子』シリーズ、『おふくろシリーズ』という高視聴率人気ドラマを産み出し、平成7年おふくろシリーズで第3回橋田賞を受賞した。二時間ドラマの女王として君臨した時期も長く、特に前者のシリーズの人気も手伝い、『火曜サスペンス劇場』最多主演女優である。 1965年、三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)と結婚。同年NHK大河ドラマ『太閤記』に念仏踊りの姉妹の姉役で出演していたが、妊娠のため番組を途中で降板。そして12月に長男の照之を出産した。 森光子主演舞台「放浪記」の初演当時は、浜が日夏京子を演じていた。 1968年、息子の照之が1歳の時に夫が不倫相手の元へ移り住んだため、照之が3歳の時に離婚。照之は浜が引き取り、母の協力のもと、女優を続けながら育て上げた〔2010年『週刊現代』2月27日号。この記事で、母が2010年1月2日に99歳で死去したことも明らかにした。〕。 1989年、『人生は、ガタゴト列車に乗って…』の井上マス役の演技により第15回『菊田一夫演劇賞大賞』を受賞。芸能生活60周年記念として2013年に『新版 人生は、ガタゴト列車に乗って…』として井上マス役を再演した。芸能生活60周年を迎え、永年の舞台の功績に対して、第38回『菊田一夫演劇賞特別賞』を受賞した。 2000年紫綬褒章受章。2014年秋の叙勲で旭日小綬章を受章〔もう少しだけ、精進…旭日小綬章・浜木綿子さん 読売新聞 2014年11月3日閲覧〕。 近年、人気ドラマ『女監察医・室生亜季子』シリーズの終了後はテレビドラマの出演はなく、年間1か月の座長公演及び、その稽古期間やCM出演の他には仕事はほとんどせず、悠々自適の生活を送っている。息子一家と同居しており、一時期は元夫も加わり生活していたが、現在は元夫は別の女性と暮らしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜木綿子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|