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浜村 美智子(はまむら みちこ 1938年10月3日 - )は日本の歌手。大阪府出身。 == 来歴・人物 == モデルから転身し歌手デビュー。1957年、ハリー・ベラフォンテの楽曲『バナナ・ボート』をカバーし大ヒットさせ、「カリプソの女王」として人気を集めた。『バナナ・ボート』は江利チエミらも競作として発売していたが、浜村盤は大きくリードする形で発売1ヶ月余りで18万枚を売り上げ、最終的に30万枚、現在までのトータルセールスではミリオンセラーを記録したとされる。 同1957年12月31日、東京宝塚劇場で開催された第8回NHK紅白歌合戦に初出場(詳細は下記参照)。だが、『バナナ・ボート』には全体的に男性コーラスが使われており、当時はコーラスでも男性とは歌唱することが出来ず、エルヴィス・プレスリーの『監獄ロック』を歌ったというエピソードがある。 その後も『バナナ・ボート』に続き『カリプソ娘』などを発表した。また、当時としては異例だったアメリカでの録音も行っていた。 1960年7月10日に、ハリー・ベラフォンテがアジアツアーの一環で初来日した際、空港には多くのメディアと共に浜村美智子も駆けつけた。 1963年、プロボクシング東洋ライト級チャンピオンだった小坂照男との結婚をきっかけに引退したが、1965年にTVドラマ『忍者部隊月光』(フジテレビ系)に悪の組織の女幹部役で出演し、女優活動を再開する。1972年にNHKの『思い出のメロディー』で歌手として復帰〔クール&ビューティーな魅力で日本人歌手の海外進出のパイオニアとなった元祖「カリプソ娘」浜村美智子。 大人のミュージックカレンダー〕。それがきっかけで出した『黄色いシャツ』が久しぶりに注目を集め、オリコンシングルチャートにも登場し、ヒットした。この歌は韓国人歌手の孫夕友の歌のカヴァーだったことから、韓国の大韓放送協会に招かれ、同国で初めて生放送番組に出演した外国人となった〔。 現在もラテン・シャンソンを中心にダンスパーティー、ディナーショー等のステージに出演している。 2013年12月31日、第46回年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)に出演。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜村美智子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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