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浜松城(はままつじょう。近代以前は旧字体で「濱松城」と表記された)は静岡県浜松市中区にある日本の城跡。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。 == 歴史 == === 今川氏・飯尾氏時代 === 浜松城以前はは曳馬城(引馬城、引間城)が浜松の拠点だった。築城者については諸説あるが、今川貞相が初めて築城したという。 斯波氏と今川氏が抗争すると、この地を支配していた大河内貞綱は斯波氏に味方するが今川氏に敗れた。その後は今川氏親の配下・飯尾氏がこの地を支配することになる。永正11年(1514年)、飯尾乗連(またはその父飯尾賢連)が城主になったともいわれる。乗連は今川氏に引き続き仕え、桶狭間の戦いにも参加した。桶狭間の戦いにおいて今川義元が戦死すると今川氏の衰退が始まるが、この時期に飯尾氏の当主も乗連から子の連竜へと移り変わる。 今川氏の衰退後、城主飯尾連竜が今川氏真に反旗の疑惑をもたれ、永禄8年(1565年)に今川軍に攻囲され多大な損害を被るが、陥落は免れた。この時今川からの和議勧告を受諾した連竜は、戦後に今川氏再属のため駿府への大赦御礼に出向いたが、和議は謀略で、連竜は殺された。以後の曳馬城は、連竜の家老の江間氏によって守られるも城内は徳川派と武田派に分裂して内紛が起きていたため徳川家康によって早期攻略された。また一説ではその後連竜の未亡人・お田鶴の方を中心とした飯尾氏の残党によって守られるが家康が永禄11年(1568年)12月にお田鶴の方に使者を送り城を渡せば妻子共々面倒を見ると降伏を促すもお田鶴の方が拒否し続けたため、家康が兵を使って攻め込み、お田鶴の方が城兵を指揮して奮戦したが侍女と共に討死にした。またそのお田鶴の方を祀った「椿姫観音」が城の近くに残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜松城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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