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浜田 文子(はまだ あやこ、1981年2月14日 - )は、メキシコ出身の女子プロレスラーである。 プロレスラーのグラン浜田を父に持ち、姉のソチ浜田もプロレスラーである。 == 略歴 == 本名''Ayako Valentina Hamada Villarreal''(アヤコ・バレンティナ・ハマダ・ビヤッレアル。スペイン語圏では本人の名前・洗礼名・父親の姓・母親の結婚前の姓の順に表記する。洗礼名の「バレンティナ」は誕生日であるバレンタインデーに由来する)。メキシコシティにて、マリポーサ(空中)殺法で一時代を築いたグラン浜田(新日本プロレスやメキシコ・マットで活躍した)の四女として生まれる。 1995年、父の帰国と共に日本に移住し、大日本プロレス道場でネフタリから指導を受けた〔WNC後楽園ホール決戦完全ガイド TAJIRI Official Website 2012年7月12日〕。 1998年、できたばかりの女子プロレス団体アルシオンに入団(当時のライセンスナンバーは14)、デビュー前から写真集やビデオが発売され、またプロレス雑誌の表紙を飾るなどスーパールーキーとして注目された。同年8月9日キャンディー奥津戦でデビュー。大活躍し、1年たらずでアルシオンのチャンピオンとなった。1970年代のチャンピオンマッハ文朱以来のスピード出世と言われる。 1999年8月29日、みちのくプロレス群馬大会で日本人レスラーとして初めて父娘タッグを組む。団体の中心レスラーだったアジャ・コング退団後はライセンスナンバーが1に変更され文字通りエースとなり、年間200試合近くをこなす団体を支えた。 2002年1月13日アルシオン退団を表明。アルシオン脱退後、フリーとなり主にGAEA JAPANマットに活躍の場を移し活躍。一方で文子を失ったアルシオンは倒産し、2003年に堀田祐美子に買収され、AtoZとなった。 2003年5月には老舗の全日本女子プロレス横浜アリーナ大会でWWWA世界シングル王座を奪取した。 2004年からはハッスルに「アリシンZ」というリングネームにて参戦していたが、2005年暮れから「ドクロンZ」に改名。また2005年からは悪役レスラーに転向し、凶器を使うなど新たなファイトスタイルを見せている。 新間事務所を離脱後、しばらくフリーだったが2006年10月15日付で伊藤薫プロレス教室に入団し活動。2009年4月8日、アメリカのプロレス団体TNAと契約を交わした。TNAでは「ハマダ」のリングネームで活動、2010年1月4日にはアメージング・コングとのコンビでTNAノックアウト・タッグチーム王座(女子タッグ王座)を獲得するが、3月にコングの退団に伴い返上。7月27日にはテイラー・ワイルドとのコンビで同王座を奪回するが、今度は12月6日付でハマダ自身が解雇され、王座も剥奪されてしまった(パートナーのワイルドも3日後にTNAとの契約を解除し、2011年1月には学業専念を理由にプロレスを引退した)。 TNAから解雇された後はアメリカ合衆国のニュージャージー州を拠点とするJAPW(Jersey All Pro Wrestling)と契約を交わした。 その後、2012年6月1日付でZABUNと専属フリー契約を結び、現在はプロレスリングWAVEを主戦場としている。 2013年8月9日、浜田文子15周年記念大会「~Aventurera」を新宿FACEで開催した。メインイベントではアジャ・コング&山縣優と組んでAKINO&GAMI&Leon組と対戦し、浜田がAKINOからフォールを奪って元アルシオン対決を制した。 2013年10月30日 山縣優とのタッグ(Las aventureras)でWAVE認定タッグ王座に戴冠。 2015年、ZABUN専属制度廃止に伴いプロレスリングWAVE正式所属選手となり、ヘッドコーチも兼任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜田文子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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