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浜野彰親 : ミニ英和和英辞書
浜野彰親[はま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はま]
 【名詞】 1. beach 2. seashore 
: [の]
 【名詞】 1. field 

浜野彰親 ( リダイレクト:濱野彰親 ) : ウィキペディア日本語版
濱野彰親[はまの あきちか]

濱野 彰親(はまの あきちか、1926年(大正15年)5月8日 - )は、日本の挿絵画家。本名政雄(まさお)。1968(昭和43年)年、彰親(あきちか)に改名。現在、日本出版美術家連盟会長(1回目2001年(平成13年)〜2006(平成18年)、2回目2008(平成20年)〜)。
その作風は、「鋭い感受性と深い観察眼から生れたモノクロームの世界は、そこに生きる人間の本性を暴き出し、小説の世界観を鮮やかに印象付けている」とされる〔松本品子編『濱野彰親挿絵原画集 モノクロームへの眼差し』ラピュータ、2012年12月〕。

== 略歴 ==

*1926年(大正15年) 5月8日東京都足立区千住に、父・亀太郎と母・なみの長男・政雄(まさお)として生まれる。祖父・三蔵は千住で大きく紙問屋を営み、父は職人数人を使い掛け軸を製作していた。
*1931年(昭和6年) 父逝去。
*1942年(昭和17年) 青山学院高等科を卒業。鉄道省へ入省。
*1943年(昭和18年) 日本美術学校油絵科(夜学部)に入学。
*1945年(昭和20年) 日本美術学校油絵科卒業。4月赤坂歩兵第三連隊に入隊、8月終戦。
*1946年(昭和21年) 推理小説雑誌『トップ』にて挿絵画家デビュー。以後、新聞小説や大衆文芸雑誌の挿絵を手がける。
*1950年(昭和25年) 日本出版美術家連盟(1948(昭和23年)創設)に最年少(24歳)で参加。
*1954年(昭和29年) 若手挿絵画家たちと「挿美会」を結成し、翌年には『さしゑ』を創刊するなど挿絵の発展に尽力。
*1961年(昭和36年) 濱野政雄画集『B5の絵』を刊行。
*1964年(昭和39年) シェル美術賞展佳作賞受賞。
*1968年(昭和43年)「彰親(あきちか)」に改名。松本清張山崎豊子火野葦平川上宗薫菊村到近藤啓太郎黒岩重吾三好徹森村誠一深田祐介山村美紗ねじめ正一逢坂剛津本陽和久峻三田辺聖子など、数多くの著名小説家の作品の挿絵を手がけるようになり、週刊誌や新聞などに多数連載。
*1974年(昭和49年) 第二回『噂』さし絵賞、日本作家クラブ絵画賞受賞。
*1975年(昭和50年) 第六回講談社出版文化賞(さしえ賞)受賞。
*2001年(平成13年)〜2006(平成18年)、2008(平成20年)〜、出版美術家連盟会長に就任。
*2012年(平成24年) 画集『濱野彰親挿絵原画集 モノクロームへの眼差し』刊行。
*2013年(平成25年) 弥生美術館にて濱野彰親展「モノクロームへの眼差し -人間の本性を暴く-」開催。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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