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濱野 礼奈(はまの れな、女性、1976年7月19日 -)は日本の元バレーボール選手、現指導者。現役当時はVリーグのデンソー・エアリービーズに所属し、現在は新潟医療福祉大学講師、同学女子バレーボール部監督。 == 来歴 == 父は住友軽金属男子排球団の中心選手として活躍した濱野光之(後に順天堂大学男子バレーボール部監督)、母は元カネボウの苗代裕子というバレーボール一家に生まれた〔『月刊バレーボール』1994年2月号 149ページ〕。母の実家(熊本県水俣市)で誕生し、埼玉県越谷市で育つ。人呼んで「バレーの申し子」〔。小学時代は硬式テニスに打ち込んだが、中学1年次にバレーボールに転向し、1991年に出場した全国都道府県対抗中学バレーボール大会で埼玉県チームの一員として3位入賞を果たすと、一躍脚光を浴びた〔。 高校は國學院大學栃木高等学校に進学すると、1993年の春高準優勝やインターハイ優勝、国体優勝などに大きく貢献し、國學院栃木の一時代を築いた。一方、国際大会でも同年に開催された世界ユース選手権で銀メダル獲得に貢献した。大学は東京学芸大学に進学し〔『月刊バレーボール』1995年2月号 152ページ〕、1997年の全日本インカレでは優勝に貢献し、自らもスパイク賞を獲得した。同年に開催されたユニバーシアードシチリア大会でも銅メダルを獲得している。1999年にデンソー・エアリービーズに入団し、同年5月の黒鷲旗全日本選手権では若鷲賞を獲得するなど〔『月刊バレーボール』 1999年5月号 160ページ〕、中心選手として活躍したが2003-04シーズンをもって現役を引退した。 2004年4月に順天堂大学大学院修士課程に進学し、同学非常勤講師、同学男子バレーボール部コーチ、千葉県公立学校教員を務めた後、2012年4月に新潟医療福祉大学の講師兼女子バレーボール部監督に就任した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「濱野礼奈」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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