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浦上玉堂 : ミニ英和和英辞書
浦上玉堂[うらかみ ぎょくどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
上玉 : [じょうだま]
 【名詞】 1. fine jewel 2. best article 3. pretty woman
: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

浦上玉堂 : ウィキペディア日本語版
浦上玉堂[うらかみ ぎょくどう]

浦上玉堂(うらかみ ぎょくどう、延享2年(1745年) - 文政3年9月4日1820年10月10日))は、江戸時代の文人画家。名は孝弼(たかすけ)。君輔(きんすけ)、通称は兵右衛門。35歳の時、「玉堂清韻」の銘のある中国伝来の七弦琴を得て「玉堂琴士」とした。父は宗純
==経歴==

1745年(延享2年)、岡山藩の支藩鴨方藩(現在の岡山県浅口市)の藩邸に生まれる。玉堂は播磨備前の戦国大名であった浦上氏の末裔で、系図上では浦上一族の浦上備後守の曾孫とされるが、実際はさらに代は離れているようである(「浦上家系図」では備後守は宗景の孫とされるが、実際は同時代の人物である)。
若年より、学問、詩文七絃琴などに親しむ。35歳のとき、中国・顧元昭作と伝わる「玉堂清韻」の銘のある名琴を入手したことから「玉堂」を名乗るようになる。鴨方藩の大目付などを勤める程の上級藩士であったが、琴詩書画にふける生活を送っていたことから、周囲の評判は芳しくなかったらしい。50歳のとき、武士を捨て、2人の子供(春琴秋琴)を連れて脱藩(妻はその2年ほど前に亡くなっていた)。以後は絵画と七絃琴を友に諸国を放浪、晩年は京都に落ち着いて、文人画家として風流三昧の生活を送る。特に60歳以降に佳作が多い。代表作の「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」は川端康成の愛蔵品として知られる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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