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浦和サッカークラブ : ミニ英和和英辞書
浦和サッカークラブ[うらわさっかーくらぶ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love

浦和サッカークラブ : ウィキペディア日本語版
浦和サッカークラブ[うらわさっかーくらぶ]

浦和サッカークラブ(うらわサッカークラブ)は、埼玉県浦和市(現、さいたま市)を拠点に活動していたサッカークラブチーム。通称、浦和クラブ
==概要==
第二次世界大戦後の1950年に「麗和クラブ」〔 埼玉県立浦和高等学校OBのクラブ。浦高は高校選手権優勝3回、国体優勝2回を数える古豪。交通の便から戦後十数年間は県の主要大会は浦高校庭で開催されていた。また1964年に「麗和少年サッカークラブ」を設立し、毎週土日に小学3年から6年生を対象とした練習会を開いていた。〕と「埼玉蹴球団」〔埼玉師範学校OBのクラブ。大正末期の創立で、東京リーグに加盟していたが1941年の太平洋戦争開戦に伴い、軍命令により活動を停止。戦後、活動を再開し1950年に浦和クラブとして発展解消したが、1953年に国体教員の部創立に伴い再編された。後の埼玉教員クラブ(現在の埼玉サッカークラブ)の前身となったクラブである。〕のメンバーが中心となりクラブは創設。1958年の全国都市対抗サッカー選手権大会準優勝などの成績を収めていたが、埼玉県サッカー協会が国民体育大会3部門(高校、教員、一般)制覇を目標に掲げた事もあり、1962年に「浦和クラブ」、「桜蹴クラブ」〔浦和市立浦和高等学校(現在のさいたま市立浦和高等学校)OBのクラブ。浦和市立高は高校選手権優勝4回、国体優勝3回、高校総体優勝1回を数える古豪。過去に清水秀彦らを輩出している。〕、「西高OBクラブ」〔埼玉県立浦和西高等学校OBのクラブ。浦和西高は高校選手権優勝1回を数える古豪。過去に西野朗らを輩出している。〕のメンバーが中心となり再編された。そして1963年の山口国体において念願の国体制覇を成し遂げた。また今大会では教員の部を埼玉教員、高校の部を浦和市立高校が制し、国体史上初の3部門制覇を達成し、名実共に「サッカー王国」の名を全国に知らしめた。なお翌1964年の新潟国体も制し連覇を達成しているが、地元開催の1967年大会は名古屋相互銀行に敗れ準優勝に終わっている。
1960年代を通じて戦力を維持し続け社会人サッカーの強豪クラブとして活躍。1965年に始まった全国社会人サッカー選手権大会で1年目に準優勝、翌1966年は前年の決勝で敗れた日本鋼管に雪辱を果たし初優勝。1967年に始まった関東サッカーリーグに参加し初代チャンピオンになった。
社会人選手権の活躍によって日本サッカーリーグの入替戦に4度出場をする権利を得たが何れも敗れ去り昇格は果たせなかった〔JSLへの昇格が決まるとなれば加盟時に分担金(当時の金額で200万円)が必要となり、関係者は複雑な心境だったという。〕。
この活躍はサッカーファンや浦和市民の関心を集め、マスコミにも取り上げられクラブごと買収しようとする企業も現れたが、選手個々の事情により実現には至らなかった。
その後は有力企業に属さないクラブチーム故に資金調達、練習時間の確保、新人補強などが難航し1977年には関東リーグ最下位となり埼玉県1部リーグへ降格。1982年には埼玉県2部リーグへ降格と成績も下降線を下るようになり、遂に解散する事になった(解散の時期は不明〔1998年に出版された『レッズと浦和-純愛サッカー物語』の中で消滅していると記されており、既にこの時期にはクラブとして存在していなかったと思われる。〕)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「浦和サッカークラブ」の詳細全文を読む




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