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浦戸城(うらどじょう、''Urado Castle'', ''Urado-jo'')は、高知県高知市浦戸(土佐国吾川郡浦戸)にあった日本の城。 戦国時代に長宗我部元親が居城とし、山内一豊も高知城に移るまで居城とした。現在は県の史跡に指定されている。 == 概要 == 高知市南部、桂浜の北部丘陵の浦戸山(標高59m)上に築かれた中世の平山城跡で、土佐湾(太平洋)に面している。浦戸は高知平野の入り口に位置し、紀貫之の『土佐日記』にも浦戸の港として記載されるなど、古来より水運の拠点となる地であった。 古くより城砦があったとされるが、本格的には戦国時代に本山氏により築城されたと考えられている。その後本山氏を滅ぼした長宗我部氏が支城とし、長宗我部元親が大幅に改修した後、大高坂城(現 高知城)より移って居城とした。長宗我部時代には本丸・二の丸・三の丸・出丸で構成されて3層の天守が設けられる大規模な城であり、丘陵北部の浦戸湾岸に城下町が置かれた。江戸時代、長宗我部氏に代わって土佐に入国した山内一豊もまた本城を居城としたが、高知城築城後に居を移したため、廃城となった。 現在は県の史跡に指定されているが、城跡には国民宿舎桂浜荘・県立坂本龍馬記念館が建ち、石垣・堀切の一部を遺構として残すのみである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浦戸城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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