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浦 敬一(うら けいいち、万延元年4月4日(1860年5月24日) - 1889年(明治22年)失踪)は明治時代の政治活動家、スパイ、大陸浪人。平戸藩出身。専修学校を卒業、大阪内外新報、長崎鎮西日報等で記者を務めた後、清に渡り、清国改造を唱える漢口楽善堂に参加、ロシア帝国の南下を防ぐため新疆偵察に向かい、消息を絶った。 == 生涯 == === 生い立ち === 万延元年(1860年)4月4日、平戸藩士坂本琢左衛門と澄子の次男として平戸島西ノ久保の母の実家に生まれ、事前の約束通り浦貞元の養子に出された。貞元の京都、壱岐赴任中は養母道子一人に育てられ、藩儒片山尚絅に学業の監督を受けた。 井上寅之助に読書習字を学んだ後、藩校維新館に入学、藩学寮値賀亘塾にも学び、明治5年(1872年)の廃校後は山県勇三郎等と楠本瑞山に学んだ。 九州を回った貞元から鹿児島での士族の活動を聞き、遊学を熱望するも許されず、代わりに1874年(明治7年)松浦縮蔵の誘いで父貞元と東京に上り、市川遂庵に書、大橋訥庵に経学を学び、征韓論者志佐要一郎の薫陶を受け、1877年(明治10年)5月帰郷した。 廃藩置県後、1879年(明治12年)2月平戸警察署巡査となり、武生水警察署に転任、1880年(明治13年)11月平戸に戻り、辞職した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浦敬一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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