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浦野 弥生(うらの やよい、1969年3月30日 - )は、元女子レスリング選手。中延学園高校、日本体育大学卒業。神奈川県川崎市出身。 1990年から1996年まで女子レスリング世界選手権において、重量級3階級(75・70・65kg級)で金メダル6個、銀メダル1個を獲得し、引退した今でも世界選手権メダリストランキングで一番である。 == 来歴・人物 == 中延学園高等学校(現・朋優学院高等学校)在学時は陸上競技で活躍し(1年下の後輩に元女子マラソン日本記録保持者である朝比奈三代子がいる)、日本体育大学入学より柔道部に入り、本格的に格闘技の道に入ることとなる。 柔道での活躍としては、日体大女子柔道部の主将として東京学生女子柔道体重別選手権(61kg級)などで優勝するなどしたが、レスリングの山本郁榮(山本美憂・徳郁・聖子の父)に見出され、その才能と努力で世界チャンピオン時代は、浦野が選択する階級をライバルが避けるほど重量級では無敵の強さを発揮した。また、1996年にエキシビションの試合で当時の「男子」48kg級オリンピック金メダリストを降している。 社会人「京樽レスリング部」時代は現世界チャンピオン吉田沙保里、伊調千春、伊調馨らを育てた中京女子大学レスリング部コーチ栄和人に指導を仰ぎ、その後の実績をのばした。 1997年は膝がマットにつけないほどの故障の悪化により成績を落とし、それが引退の原因になった。 1999年に引退した後は留学先のカナダ・アルバータ大学のレスリング選手、ロナルド・真・オダガキと結婚、一男一女をもうけた。 2007年、女性として世界でクリスティン・ノードハーゲンに次いで2人目、日本で初、国際レスリング連盟(FILA)の殿堂入りを果たした。 ちなみに1996年にフジテレビ系のゲーム番組「BANG! BANG! BANG!」にグラディエーターの一人、KURENAIとして出演していたことがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浦野弥生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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