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浦風部屋(うらかぜべや)は、かつて存在した相撲部屋。 ==沿革== 江戸時代から続く名跡。初期の浦風親方の時代には大関雷電爲右エ門が在籍した。弟子の育成においては、3代目の稲川市右エ門の親方がすばらしく多くの関取が育った(移籍含む)。 その後、5代元幕内谷嵐市藏、6代元幕内白真弓肥太右エ門、7代を経て8代目の元関脇浦風林右エ門までつないだが、明治36年(1903年)8月に師匠の死去により一旦部屋は閉ざされた。その当時在籍していた関脇稲川政右エ門、元幕内鉞り鉄五郎は高砂部屋に移籍した。 明治37年(1904年)5月場所を最後に現役を引退して、9代浦風を襲名した八角部屋の元幕内小松山与三松は、部屋を興して関脇浦ノ濱栄治郎らを育てるが、大正6年(1917年)5月に亡くなった。後を継いで二枚鑑札となった浦ノ濱の10代目親方は、先代からの弟子である兼六山鉄太郎(大正13年(1924年)1月立浪部屋へ移籍)、太郎山勇吉(後に高砂部屋へ移籍)を育てるが、昭和5年(1930年)10月に部屋を閉じ廃業している。 11代目の太郎山の親方は昭和10年(1935年)1月に現役を引退して、浦風を襲名した。5月に部屋を再興したものの関取を出すことは叶わず昭和16年(1941年)5月限りで部屋を閉じた。その後、昭和29年(1954年)5月からふたたび部屋を興したが、やはり関取をだせないまま1962年5月に部屋を閉じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浦風部屋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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