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浩々洞 : ミニ英和和英辞書
浩々洞[こうこうどう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くりかえし]
 (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
: [ほら, どう]
 【名詞】 1. cave 2. den 3. grotto 

浩々洞 : ウィキペディア日本語版
浩々洞[こうこうどう]
浩々洞(こうこうどう)は、清沢満之を中心として開かれた真宗大学〔真宗大学…現在の大谷大学。詳細は、大谷大学「沿革」の節を参照のこと。〕の学生らの私塾である。1900年(明治33年)4月設立、1917年(大正6年)解散。
== 年表 ==
1900年(明治33年)4月、近角常観の洋行に際して本郷森川の寮の留守を引き受け、若き近代真宗求道者達の共同生活が始まる。
1901年(明治34年)1月15日、雑誌『精神界』を発刊する。
1901年(明治34年)11月から毎週日曜日精神講話(後に日曜講話)を開く。
1902年(明治35年)6月、本郷東片町に移転する。
1902年(明治35年)12月、本郷曙町に移転する。
1903年(明治36年)6月6日清沢満之亡くなる。
1904年(明治37年)、巣鴨に移転する。
1909年(明治42年)、小石川に移転する。
1917年(大正6年)、浩々洞閉じる。
*暁烏敏の回想によると「議論と大笑の処」であったという。
*浩々洞のメンバーを「浩々洞の同人」という。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「浩々洞」の詳細全文を読む




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