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【名詞】 1. naniwabushi 2. a kind of sung narrative popular during the Edo period =========================== ・ 浪花 : [なにわ] (n) Naniwa (former name for Osaka region) ・ 浪花節 : [なにわぶし] 【名詞】 1. naniwabushi 2. a kind of sung narrative popular during the Edo period ・ 花 : [はな] 【名詞】 1. flower 2. petal ・ 節 : [せつ, ぶし] 1. (n-suf) tune 2. tone 3. knot 4. knob 5. point
浪曲(ろうきょく)は、明治時代初期から始まった演芸である。「浪花節」(なにわぶし)とも言う。三味線を伴奏に用いて話を語り、歌う〔国本武春が時おり披露する一人二役(浪曲師と曲師)の弾き語りは伝統的浪曲では「異端」である〕。各演題ごとに歌う部分(節)と語り演じる部分(啖呵)を両方持つ。明治時代後期から昭和中期にかけて日本全国で庶民的な人気を博し、大衆文化として、日本の近代文化史・メディア史に欠くことができないものとなった。 == 特徴 == 七五調で演じられ、「涙」と「笑い」の感情を揺さぶることが特徴〔日本浪曲協会主催で度々開かれるイベントは「笑う浪花節vs. 泣く浪花節」〕の浪花節は、思わず真似をして唸りたくなる節回しという間口の広さと、その実うまくなるには鍛錬を要する奥の深さを同時に持つ。近接した芸能を(多くの今でいう郷土芸能も含め)どん欲に取り込み、浪曲師が節の運びなどに各人各様の創意工夫をすることで発展した。自由さ、融通無碍ぶりが大きな特徴である。竹本義太夫が決定打であった義太夫節や鶴賀新内の新内節のような、様式を決定付ける存在は未だ出ておらず〔小沢昭一『ドキュメント また又日本の放浪芸 節談説教』〕、伝統邦楽界では一般的である「家元制度」に象徴される分派主義〔杵屋正邦「一邦楽系作曲家の体験的発言」『科学と思想』1976(10)p.322〕とは様相を異にしている〔寄席演芸という形態に起因する、という指摘がいくつかある〕。 演題(ネタ)は(特に近年のコンプライアンス重視の流れに対しての)侠客物のイメージが強いが、童話から、親子の情愛もの、仇討もの、戦争ものなど幅は広い。 都市を中心に盛んになった 講談・落語と比べ、都市部から地方部に至るまで全国的人気を長年保ち続け、歌謡浪曲から演歌へ、人気は連綿と続いていく。その点を指し「土の匂いがする」「田舎臭い」と(半ば軽蔑的に)評されることもあったが、それ以外にも江戸前風のあっさりとした味の関東節や、コッテリとしたサービス満点の関西節と、浪曲の魅力は多面体的で、一口でまとめられるものではない〔他に、正岡容門下生で、大量の著書で浪花節に触れ続けた小沢昭一の見方として「いかにも立派を装って重々しくもったいつけて演」じ「忠君愛国」や「義理人情のしがらみに感涙をしぼらせる」浪花節と、「軽快で粋で小ざっぱりしていて、滑稽で、そして悪婦悪党が跳梁跋扈していても、人生の機微をついているような」浪花節という二項分類がある。出典:『日本の放浪芸』(白水社 2004年)p.269-270〕。 声を出して演じる者を「浪曲師」(ろうきょくし)と〔浪曲家とも〕呼ぶ。一つの物語を節(ふし)と啖呵(たんか)で演じる。節は歌う部分で物語の状況や登場人物の心情を歌詞にしており、啖呵は登場人物を演じてセリフを話す。重視する順を「一声、二節、三啖呵(いちこえ、にふし、さんたんか)」と言う。先の二つを「声節(こえふし)」と呼び、特に重要視する〔国本武春『待ってました名調子!』p.43-44〕。浪曲師の敬称として、かつては講談のように「先生」が多く使われたが〔桃中軒雲右衛門の東上以来のことのようで、特にその威風堂々とした芸風を継ぐものに使われる。〕、現在は他の多くの演芸と同様、「師匠」が一般的である。 「浪花節を読む」という表現があるように台本は存在するが、譜面は存在せず〔広沢龍造編『独習で上達する浪曲の習い方』〕、浪曲師と曲師の呼吸が合うかどうかが、重要である〔春野恵子の説明によれば「浪曲師と曲師が舞台で繰り広げるやりとりは、『ジャズのセッションのよう』とも言われ、そのライブ感が浪曲の魅力」である。出典:日本が誇るエンターテイメント「浪曲」を世界へ! 浪曲師・春野恵子がNY公演にチャレンジ!-世界を変えるクラウドファンディングサービスCOUNTDOWN 〕〔浪曲師と曲師がどう呼吸を合わせて演奏しているかは国本武春『待ってました名調子!』に詳しい。東家みさ子、岩崎節子、沢村豊子の項などを参照のこと〕。「曲師」と呼ばれる三味線の伴奏者(相方)のうち、主たる相手は「相三味線(あいじゃみせん)〔合三味線とも〕」と呼ばれる〔相三味線は歴史的に配偶者、つまり女房が多かった。徐々に比率は減っているが、今も東家一太郎に東家美など例はある。現代に向かっていく中で、高野東海や山本太一など男性の高名な曲師もおり、また曲師不足に起因するフリー曲師の増加もあり、現在は組合せに特別なものはない〕。調弦は三下り(さんさがり)にする〔日本浪曲協会の説明ページ 〕。関西では曲師とギター奏者がつくこともある〔出典:『上方伝統芸能あんない』浪曲の章p.89-102。『日本浪曲史』南北社版(1968年刊)p.373(中川明徳による補章)は、天龍三郎がギター奏者をつけ始めたことを批判的に書いており、その頃より始まり一手法として京山幸枝若など関西に定着した様子が伺える〕。 浪曲(浪花節)の実演を表す動詞には様々あり、「うなる」・「語る」・「読む」・「うたう」・「口演する」などがある。使用する局面によって多少使い分けているが基本的に同じ意味で〔詳しくは語りものの項に説明があるので参照のこと。〕、前述したような歴史的経緯から、浪曲用語にはこのような歴史的に未整理と思われる例が多数あり、注意が必要である。 東京、大阪のほか、名古屋と福岡〔福岡から佐賀、長崎出身の浪曲師は桃中軒雲右衛門の登場以来数多い。安斎竹夫『浪曲事典』1975年刊にも九州が本拠地の浪曲師の掲載がある〕にも浪曲師の中心があった。現在、浪曲の定席(常打ちの寄席)は、東京都台東区浅草の「木馬亭」〔他に関東では永谷の演芸場などで浪曲公演が毎月ある。〕と大阪府大阪市天王寺区の「一心寺門前浪曲寄席」のみとなっている 〔大阪・国立文楽劇場で「浪曲錬声会」 も定期的に開かれた〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浪曲」の詳細全文を読む
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