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海上五十狭茅(うながみのいさち)とは、生田神社社家の先祖。 上総国海上郡の海上氏(祖 天穂日命)との関係も考えられるが、不明。神功皇后から、稚日女尊を祀る事を命ぜられ、初代生田神社祭主となったという。麛坂皇子、忍熊皇子側について神功皇后、応神天皇と戦った将軍である五十狭茅宿禰(いさちのすくね、吉師の祖:阿倍氏と共に吉志舞を舞った配下の難波吉師と同じ氏かは不詳)の子であるともいう。なぜ戦った相手の子に奉祀させたかは不明。本当であるとすると、壬申の乱の後の石上麻呂の様に、敗者側関係者が栄達?を遂げたこととなる。子だけ、神功皇后、応神天皇側についたのかも知れない。 名前の五十(い、いと、いそ 等)の部分は皇室関係の古い名に散見されるが、意味は不詳。 海上五十狭茅の子孫は、海上氏だけでなく、村田氏、後神(ごこう)氏などの名前を称するようになってゆく。 また、生田裔神八社の内、天穂日命を祀る五宮神社の近辺に代々住んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海上五十狭茅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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