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海光山大吾郎 : ミニ英和和英辞書
海光山大吾郎[われ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひかり]
 【名詞】 1. light 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [われ]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego

海光山大吾郎 ( リダイレクト:海光山大五郎 ) : ウィキペディア日本語版
海光山大五郎[かいこうざん だいごろう]

海光山 大五郎(かいこうざん だいごろう、1900年3月16日 - 1954年5月16日)は、徳島県海部郡宍喰町(現:徳島県海陽町)出身の元大相撲力士。本名は小倉 清次(おぐら せいじ)。
== 来歴 ==
1900年3月16日徳島県海部郡宍喰町(現:徳島県海陽町)で生まれる。兵役を終え、さらに関東大震災によって帰郷していたことで、1924年5月場所において幕下付出初土俵を踏んだ。この時で既に23歳と当時としては遅い入門で、1927年10月場所で新十両昇進を果たすが、その後何度も十両と幕下を往復したために出世が遅れ、四股名を「師匠・二所ノ関の現役時代『海山』の名を光らせる」という意味を込めて「海光山 大五郎」と改名(1928年5月場所)したのを挟んで、1932年1月場所(春秋園事件で中止)で新入幕を果たした際には32歳になっていた。
新入幕を果たした場所は春秋園事件によって中止となったが、海光山は革新力士団に加入して日本相撲協会を脱退したが、1933年1月場所において幕内格別席で帰参した。その後は、「太鼓腹四天王」と称されるほどの太鼓腹を左四つから生かして寄り切る取り口で幕内中位で活躍、二所ノ関部屋を創設した兄弟子の玉錦三右エ門を支え、横綱土俵入りでは露払いを務めた。
1938年12月4日に玉錦三右エ門が現役のまま亡くなると、張りを失ったのか、1939年1月場所では太刀持ちだった土州山好一郎と共に13戦全敗となって現役を引退、年寄・枝川を襲名すると同時に、二枚鑑札で部屋を継承した玉ノ海梅吉を年寄の立場から助けて後進の指導に当たった。一時期独立して枝川部屋を創立したが、終戦を期に部屋を閉鎖して再び二所ノ関部屋付きの年寄となった。
その後は高田川、放駒と年寄株を変更したが、1953年5月場所限りで廃業、その直後に死去した。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「海光山大五郎」の詳細全文を読む




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