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海口市(かいこうし、中国語:海口市、拼音:Hǎikǒu、英語:Haikou)は中華人民共和国海南省の省都。海南省人民政府の所在地でもある。 == 歴史 == 海南島が中原の影響下に入ったのは前漢の時代である。前110年、武帝は郡を広西より派遣し海南島の瓊北烈楼港(現在の海口鎮海)に上陸し、儋耳及び珠崖郡を設置したのが始まりである。 宋代の1071年(熙寧4年)に海口浦が設置され、海口の地名が誕生した。宋代には政争に敗れた蘇軾が昌化郡(現在の儋州一帯)に左遷された際に海口の金粟庵(現在の五公祠)に投宿し、また罪を赦されて都に戻る際にも投宿し『洞酌亭並引』を残している。また元により都である臨安が陥落した際、を擁立した勢力が海口で交戦し、元軍に敗れている。 元代になると海口には瓊州郡民按撫舶司が設置され、海南島における貿易活動の監督に当たっていた。漢代より海南島は広西の帰属であったが、明代の1370年より広東の帰属と改編されている。 清末の1858年(咸豊8年)、清朝と英仏政府との間で天津条約が締結されると、瓊州は開港地に指定され、両国(後に独奥西白丹も)の領事館が設立されることとなり、欧米への門戸が開かれることとなり、1873年には日本海口領事館も開設されている(領事は香港領事による兼任)。 中華民国成立後の1926年、それまで瓊山県に属していた海口を独立させ海口市が成立、広東省の直轄とし、1949年には海南特別行政区を設置し広東省から独立させている。1950年に人民解放軍の海南島上陸作戦によって中華人民共和国の統治下に入った後は1956年地級市に昇格、1988年の海南省成立にともない省都となった。2002年行政区画が再編され瓊山市を併合した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海口市」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Haikou 」があります。 スポンサード リンク
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