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海堀 あゆみ(かいほり あゆみ、1986年9月4日 - )は京都府長岡京市出身の元女子サッカー選手。ポジションはGK。 == 経歴、人物 == 小学2年生からサッカーを始め、長岡京市第四小スポーツ少年団で男子に交じってプレーしていた。サッカーを始めた当初はDFであった〔朝日新聞、2011年7月19日朝刊30面大阪本社版〕。 小学校高学年になると、男子をも驚かせるほどの当たりの強さであったとのことで、少年団の代表曰く、「あゆ(海堀の愛称の一つ)を振り切れる男は見たことがなかった」とのこと〔。当時、同郷で同学年の家長昭博の所属するチームと試合で対戦しており、家長は「封じられた記憶あり」と回想している〔頑張れなでしこ‼ 『家長昭博 OFFICIAL BLOG(自分・・・不器用ですから)』7月18日付〕。 中学入学と同時にスペランツァFC大阪高槻の下部組織に入団。しかし、経済的負担や姉の影響等の理由で、京都府立乙訓高等学校に進学した際、一旦サッカーを断念してテニス部に入部した。当時のテニス部の顧問は、「次に来るボールを予想して走り出す、動物的な勘のようなものがあった」と回想する。高校2年生の終わりごろにはテニス部で一番の腕前であったとのこと〔。 その後、高校3年生のとき、スペランツァFC大阪高槻の下部組織であるラガッツァF.C.高槻スペランツァに復帰。このときにGKに転向した。すぐに頭角を現し、女子のU-19日本代表に選出。 その後、スペランツァFC大阪高槻のトップチームに昇格。当時の所属チームには、海堀以外にGKがおらず、先述のU-19代表のGKコーチが指導する高校(金光大阪高等学校)の練習にも参加。GKコーチ曰く、「怖がらずに突っ込んだりするので、男子高校生が遠慮するくらいだった」とのこと〔。 所属チームにGKが1人という状況は2年間続いたが、試合に出続けることで短期間でしっかりとした土台を築く〔。 2008年、INAC神戸レオネッサへ移籍。正GKとしてゴールを守り続ける。同年になでしこジャパンに選ばれ、5月31日の2008 AFC女子アジアカップにおけるチャイニーズタイペイ戦で代表デビュー。 北京オリンピックでは福元美穂に次ぐ第2GKとして選ばれるが、出場機会はなかった。 2009年、シーズンで国内リーグ100試合出場を達成した。 2011年、ドイツで開催された2011 FIFA女子ワールドカップでは正ゴールキーパーとしてゴールを守り続け、特にPK戦に突入した決勝アメリカ戦では、1人目と3人目のキッカーのシュートをセーブし、日本の歴史的な優勝に大きく貢献した。この活躍によりFIFAから決勝戦のMVPとしても選出され、さらに大会の優秀選手21人にも選出された。 W杯優勝以降も日本代表や、所属するINACで主力ゴールキーパーとして出場していたが、2016年1月15日、「ライバルである自分自身に勝てなくなった」とパフォーマンス低下を理由に、29歳での現役引退を表明した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海堀あゆみ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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