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海禁(かいきん)とは、中国明清時代に行われた領民の海上利用を規制する政策のことである〔山本2002 135頁、檀上2005 145頁〕。海賊禁圧や密貿易防止を目的とし、海外貿易等の外洋航海、時には沿岸漁業や沿岸貿易(国内海運)が規制された。本来は下海通蕃の禁と呼び、海禁は略称であった。 またこれを「領民の私的な海外渡航や海上貿易を禁止する政策」と捉え、江戸幕府の行った国家による対外交流独占政策(鎖国政策)や李氏朝鮮の同様の政策、あるいは元朝の行った商人の出海禁止政策(「元の海禁」)もまた、海禁と位置付けられることもある。 == 概要 == 元代末に海賊船が往来し闘争殺傷が繰り返されたことから、泉州に向かう貿易品は全て剽窃に関係するとまで云われ、南洋の海上貿易は危険を極めていた〔許瀚前掲書、33-34頁〕。 こうしたことから明代に入ると太祖孝武帝が国令として海禁策を発布し、事実上の民衆による海上利用制限政策をとった〔英領馬来,緬甸及濠洲に於ける華僑、支那馬来間の交通、明代、P19-20、1941年〕。 海賊禁圧や密貿易防止を目的として明代に幾度も発布された海禁は、海外貿易。沿岸漁業及び沿岸貿易(国内海運)を規制する政策でもあり、中国国内に止まらず南洋を含めた周辺諸国の社会・経済に影響を与えた。 明代において海洋政策とされたが、永楽帝の時代になると鄭和南洋派遣(1405年)等の積極的な対外拡大政策を執り、明との交易利益を諸国に説いたことから諸国が訪明するようになると、禁を犯して出海する中国人海商、周辺地域で明の移民船と称された移民活動も増加し、それに伴い海禁の発令頻度も増した〔。 大航海時代の始まりとともにアジア地域に進出したポルトガル等の外圧や沿岸部の有力郷紳と結託した倭寇から、明朝内部からも海禁緩和を嘆願する胡宗憲等も現れ、明代後期には海禁の存廃論争が行われた。 清代にも初期に海外貿易のみならず沿岸海運、沿岸漁業も対象とした厳格な海禁政策が採られた。これは鄭氏政権孤立化を目的としたもので、沿岸部への民衆の立ち入りを禁じた遷界令と合わせて厳格な海禁を行うものであったが〔佐久間1992 369頁〕、密貿易は絶えることがなく、効果は限定的なものに止まった。その一方で海禁政策は国内における銀・銅の不足を招き、経済に混乱を引き起こした。鄭氏政権降服後に海禁は停止されるが、米の海上積み出しを禁じる米禁や南洋海禁(東南アジア渡航の禁止)など、限定的な海禁は行われた。 沿海部の海防や秩序構築を目指した海禁は、明・清両王朝の建国期には一定の役割を果たした。一方で東南アジアの陶磁器産業のように海禁により発展の契機を攫んだ事例も存在し、琉球王朝のように朝貢貿易を許された国家にとっては独占的な貿易を通じて恩恵をもたらすものとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海禁」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Haijin 」があります。 スポンサード リンク
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