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海野恒男 : ミニ英和和英辞書
海野恒男[うんの つねお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

海野恒男 : ウィキペディア日本語版
海野恒男[うんの つねお]
海野 恒男(うんの つねお、1931年 - 2000年10月30日)は、日本の経済官僚エコノミスト。元経済企画審議官
== 人物 ==
静岡県生まれ。一橋大学経済学部卒業後、経済企画庁計画局計画一課に入り、大来佐武郎(計画局長)、大田亮一(計画一課長)の部下として働く。後に当時の課員であった宮崎勇(元経済企画庁長官)、新藤稔(元国際証券顧問)らとともに「大田会」と称して、毎年忘年会を開くようになる〔日本経済新聞1990年6月12日〕。
1970年から1971年まで第3次佐藤内閣佐藤一郎経済企画庁長官事務秘書官を務めた。その後、第3次佐藤内閣の事務秘書官仲間で「さんさ会」を結成し、会合を重ねる。メンバーの中では、大高時男(元内閣情報調査室室長)、井嶋一友(元最高裁判所裁判官)と特に親しく、ともにゴルフに行くこともあった〔日経金融新聞1998年2月10日〕。「さんさ会」のほかのメンバーには、吉原健二(元厚生事務次官)、山田勝久
(元防衛庁装備局長)、福島譲二(元熊本県知事)、中村徹(元運輸事務次官)、望月三郎(元労働省労働基準局長)らがいる〔日本経済新聞1996年6月3日〕。
その後調整局調整課長として、経済見通しと経済運営の基本的態度(政府経済見通し)の原案作りと調整を担当〔日本経済新聞1981年12月20日〕。
1984年には、総理大臣中曽根康弘の指示で、国務大臣河本敏夫の下、急遽設置された特命事項担当室の室長に就任し、対外経済摩擦への対応、民間活力導入の具体策検討業務にあたった〔日本経済新聞1984年11月22日〕。
1989年に次官級の審議官である経済企画審議官を務めた後、退官。1990年には春の園遊会に招待された〔朝日新聞1990年5月16日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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