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海難事故の一覧(かいなんじこのいちらん) ここでは特に社会的影響の大きかった海難事故に限り、便宜的に記載する。 == 1900年代以前 == *653年〜839年(白雉4年〜承和6年) : 遣唐使船の遭難が記録に残されている。 *1120年11月25日 - ホワイトシップの遭難 : 海難事故によりイングランド、ノルマンディーの王族、貴族多数が水死した。 *1274年11月19日〜20日(文永11年 / 至元11年10月20日〜21日) 1281年8月22日〜23日(弘安4年 / 至元18年7月30日〜閏7月1日) - 元寇(神風) : 大元の艦隊が日本の近海で夜半、嵐に遭い多大な損害を被った。 *1628年8月10日 : スウェーデン海軍の戦列艦「ヴァーサ(1,210トン)」が処女航海の直後に横転し沈没した。 *1707年10月22日 - ''Scilly naval disaster of 1707'' : イギリスシリー諸島沖で21隻からなる英国海軍艦隊が嵐に遭い、岩礁に追い込まれた。うち4隻が喪失、1,400人を超える犠牲者を出した。 *1782年8月29日 : イギリスポーツマスで一等戦列艦ロイヤルジョージ(HMS RoyalGeorge)が船体を傾けて艦底整備を行っていたところ、傾けた部分から慰問に訪れた乗員の家族や補給物資搬入のための業者が入り込んだため、バランスを崩して転覆、800名以上の死者を出した。 *1791年8月29日 : バウンティ号の反乱の起きた「バウンティ」の乗組員を逮捕したイギリス海軍のフリゲート「パンドラ」がトレス海峡付近のグレート・バリア・リーフの外縁に座礁し、翌日沈没。乗組員31人と「バウンティ」の囚人4人が死亡。 *1814年7月 : ブリッグ(帆船)「モーニングスター(140トン)」がトレス海峡で難破。22人が死亡。 *1816年7月2日 : ナポレオン失脚後の植民地の返還を受け、セネガルに官僚を輸送するフランス海軍のフリゲート「メデューズ」が、艦長の不適切な指揮によって座礁した。乗員乗客はボート2艘と筏で脱出したが、まもなくボートは筏を見捨て切り離した。ボートに乗った者の大半と、筏で漂流した約150人のうち10人、船に残った17人のうち3人が生還した。 *1821年(文政4年 / 道光元年) : 唐船(17人乗組)が紀伊熊野に漂着。 *1822年2月5日(道光2年1月14日) : インドネシア・バンカ・ブリトゥン州の Gaspar 海峡で清からの移民を載せたジャンク船「」が座礁し沈没。 *1840年1月13日 :アメリカ合衆国のロングアイランド海峡において外輪船「レキシントン(Lexington)が火災により沈没。乗員・乗客143人中139人が死亡。 *1845年8月4日 : イギリスのバーク(帆船)「カタラク(802トン)」が嵐に遭い、オーストラリア・バス海峡のキング島南西で岩に乗り上げて沈没。400人が死亡。 *1852年2月26日 : イギリス軍の兵員とその家族を載せた軍隊輸送船(蒸気船)「バーケンヘッド(Birkenhead)」が南アフリカ西ケープ州の港からの出港直後、岩に衝突し沈没した。約450人が死亡。 *1854年9月27日 : 大西洋定期航路に就航していた側輪蒸気船「アークティック」が、ニューファンドランド島のケープレース沖で、フランスの鋼製蒸気船「ベスタ」と衝突後に沈没。乗員乗客合わせて534人のうち、女性と子供109人を含め約350人が死亡。 *1865年4月27日 : アメリカ合衆国のミシシッピ川で就航していた貨客船「サルタナ(定員376人)」が過積載のためボイラーが爆発、火災を起こし沈没。多数乗船していた南北戦争帰還将兵など少なくとも1450人が死亡。 *1867年5月26日(慶応3年4月23日) : 海援隊が伊予大洲藩から借り受けていた「いろは丸」と紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海で衝突。「いろは丸」が自力航行不能となり、曳航中に沈没した。 *1872年12月4日 : ブリガンティン(帆船)「メアリー・セレスト号(小説では「マリー・セレスト」と表記)」が、ポルトガル沖で無人のまま漂流しているのを発見された。 *1875年12月6日 : 客船「ドイッチュラント」(蒸気船、2,800トン)がテムズ川河口でブリザードに遭遇し、砂州に座礁。翌日に救助が来たが、乗客・乗務員100名以上が死亡する惨事となった。この事故は社会に大きな衝撃を与え「ドイッチュラントの遭難」という詩が作られた。 *1877年(明治10年)11月19日 : 北海道瀬棚海岸沖にてロシア軍艦「アレウト」がおりからの暴風に煽られ座礁。乗組員60人全員が地元住民により救助されるも、翌1878年(明治11年)4月20日迎えに来た軍艦「エルマック」へ「アレウト」乗組員がボートで向かう途中高波により転覆、12人が犠牲になった。 *1878年(明治11年)12月24日 - 大背美流れ(おおせみながれ) : 和歌山県太地村。太地鯨方は、子連れのセミクジラ(背美鯨)を捕獲するため19隻・総勢184名で出漁。荒天を突いて出漁したことから集団遭難事故を引き起こし、100余名が死亡した。 *1886年(明治19年)10月24日 - ノルマントン号事件 : イギリス商船「ノルマントン号」が、和歌山県潮岬沖で沈没、日本人乗客25人ほか、中国人、インド人乗組員12人が死亡。イギリス人船員は全員生存し、当時の日本で社会問題になった。 *1886年(明治19年)12月 : 日本海軍の巡洋艦「畝傍」がフランスから日本への回航中、シンガポールを発ったのを最後に消息を絶つ。荒天により沈没と思われるが原因や状況などは現在に至るまで不明。フランス人乗組員や日本海軍の将兵など計90人が行方不明となった。 *1887年(明治20年)5月19日 : 客船「ブリタニック」が霧のため「セルティック」と衝突。激しく損傷したが沈没の恐れがなかったため援助にきた船と共にニューヨーク港に移動した。 *1890年(明治23年)9月16日 - エルトゥールル号遭難事件 : 和歌山県樫野埼灯台付近で荒天下、トルコ海軍艦「エルトゥールル号」が座礁沈没。乗員約600人中、地元の漁民らによって69人が救出されたが、587名が死亡または行方不明となった。 *1891年(明治24年)7月11日 : 白神岬沖2.8kmの津軽海峡で「瓊江丸」(たまえまる、77トン、北海汽船)と「三吉丸」(97トン)が衝突し「瓊江丸」が沈没。261人が死亡〔。 *1892年(明治25年)11月30日 - 千島艦事件 : 日本海軍の水雷砲艦「千島」にイギリス商船「Ravenna」が衝突、「千島」が沈没した。74名が死亡。 *1893年(明治26年)2月19日 : イギリスの家畜運搬船ナローニックが大西洋上で失踪。74人全員行方不明。 *1898年(明治31年)7月4日 : セーブル島沖で濃霧の中フランスの客船「ラ・ブルゴーニュ」とイギリスの帆船「クロマーティシャイア」が衝突し「ラ・ブルゴーニュ」が沈没。549人が死亡。生存者の半数以上が乗員であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海難事故の一覧」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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