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海龍玄気 : ミニ英和和英辞書
海龍玄気[げ, き]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
: [げ, き]
  1. (suf) (uk) seeming 2. giving the appearance of 3. giving one the feeling of

海龍玄気 ( リダイレクト:海龍元生 ) : ウィキペディア日本語版
海龍元生[かいりゅう げんき]

海龍 元生(かいりゅう げんき、1990年3月1日 - )は、和歌山県海南市出身で、出羽海部屋(入門時は田子ノ浦部屋)所属の現役大相撲力士。本名は山田 元紀(やまだ げんき)。身長178cm、体重139kg、血液型A型。最高位は東幕下2枚目(2013年9月場所)。好物は焼肉、ソップ炊きのチャンコ。趣味は漫画。〔出羽海部屋ホームページ
== 来歴 ==
入門前の相撲経験は小学4年次の1年間であり、その頃は大会前に稽古する程度であった。当時から頭で当たることが苦手であったことで相撲に自信が無くなり5年次には見学だけに留まり、さらに6年次には道場通いそのものをやめてしまった。ところが、6年次に田子ノ浦が勧誘にやってきた際に山田は思わず入門を直訴。3年後に入門する約束を交わし、中学時代はサッカーに打ち込んだ。〔『相撲』2012年5月号63ページ 大銀杏が待っている 〕地元の中学校を卒業し、田子ノ浦部屋に入門。2005年3月場所で初土俵を踏む。四股名は「海龍」。同期生には若ノ鵬髙安大道旭日松飛翔富士らがいる。
2005年5月場所で初めて番付に名前が載り、序ノ口を2場所で通過したが、序二段に初昇格した同年9月場所を全休し、翌場所は再び序ノ口。序二段の番付で初めて土俵に上がったのは2006年1月場所である。それまで前ミツ相撲を取っていたが幼少期から頭から当たることが苦手であり序二段に定着した頃から限界を感じ、以降突っ張り主体の相撲の指導を受けるようになった。〔
2010年1月場所で幕下に初昇格するといきなり6勝1敗の好成績をあげるが、その後は2場所連続負け越しで三段目に降格。同年11月場所で2度目の昇格をしてからは幕下に定着し、幕下の中位から下位の土俵が続いていた。2012年2月13日に師匠の田子ノ浦親方(元幕内久島海)が急死すると所属していた田子ノ浦部屋が閉鎖になったため、出羽海部屋へ移籍することになった〔田子ノ浦部屋分裂移籍 春日野、出羽海へ 日刊スポーツ 2012年11月9日閲覧〕。移籍後初めての本場所だった同年3月場所は、亡き前師匠に対する特別な思いを抱いて挑み、連勝が続く。11日目の6番相撲で千代皇を破って自身初の6連勝とすると、13日目の7番相撲で十両昇進のかかる鬼嵐との6戦全勝対決を制して幕下優勝を果たした〔天国の田子ノ浦親方に捧ぐ 愛弟子が幕下、序二段優勝 スポニチアネックス 2012年11月9日閲覧〕。翌5月場所で、関取昇進の可能性があると言われる幕下15枚目以内の番付に初昇格している。1年後の2013年7月場所では、東幕下15枚目で土付かずの6連勝とし、最後の7番相撲で勝って7戦全勝優勝とすればついに新十両昇進が決まるという状況になったが、その大事な最後の相撲で剛士に敗れてしまい、幕下優勝だけでなく、新十両昇進も逃してしまった。翌9月場所は自己最高位を更新する西幕下3枚目の地位で再び新十両を目指すが、13日目に組まれた十両の北磻磨との実質的な入れ替え戦に敗れて負け越してしまい、新十両昇進はまたしてもお預けになってしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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