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淡路ジェノバライン(あわじジェノバライン)は、兵庫県淡路市の岩屋港と明石市の明石港を結ぶ航路の運航や、期間限定にて神戸港沖・明石海峡を周遊する航路をもつ旅客船海運会社である。なお、2008年5月18日までは淡路市・富島港と明石港との航路の運航を行っていたが現在は休止している。 == 概要 == 2001年11月に富島港 - 明石港の航路を運航していた株式会社西淡路ラインが明石海峡大橋開通による影響などにより撤退したため、大阪市に本社を置く下着・宝飾販売業の株式会社ジェノバが新たに子会社を設立した上で西淡路ラインの航路・待合所などの施設・従業員を引き継ぎ、2002年4月8日に運航を再開した。船舶は従前より小型のものを新たに購入し運航している。 2006年11月30日、経営難のため同年末での運航休止を発表していた明淡高速船(子午線ライン、明石港 - 岩屋港)の航路を2007年1月1日付で引き継いでいる。 2007年4月以降は本土-淡路島を結ぶ唯一の旅客船となる(フェリーを含めても明石淡路フェリー(通称:たこフェリー)と2会社のみとなる)。 昨今の原油価格高騰のあおりを受け、2007年10月1日より、富島航路での運賃が値上げされた。また、2007年12月1日よりそれまでの1日11往復から1日8往復に減便されたが更なる原油価格高騰と利用客の減少で2008年3月29日、富島航路を同年5月18日を以って、運航休止とすることを発表した。 そして2008年5月19日、富島航路が休止となる。代替輸送については明石〜岩屋航路と淡路交通の西浦線を利用する方法での連絡券を発売している。2014年2月以降は淡路交通西浦線の部分廃止に伴い連絡券の発売を終了し、岩屋- 富島間は淡路市北部生活観光バス路線を利用することになるが、当バスとは連絡券を発売していない。 さらに原油価格が高騰を続け、そのあおりで岩屋-明石航路が2008年8月1日より大人で50円値上げされた〔2008年8月から2014年3月までの運賃片道大人450円は明淡高速船のころの運賃(片道大人500円)より安い。〕。 並行して運航している明石淡路フェリーが深夜便の運航を廃止したことで岩屋地区への深夜時間帯での帰宅が困難となったことを受けて、淡路市からの要請で2009年4月1日、22時・23時台にもそれぞれ1往復の運航を始める。 2010年11月15日の運航をもって明石淡路フェリー航路が休止となり、この休止を受けて11月16日から5時台の早朝便(月曜日から金曜日のみ)を増発した。 2010年12月24日には、明石淡路フェリーの筆頭株主だったツネイシホールディングスから全保有株式を譲り受けることが決まった。 当初、2011年3月をめどにフェリー運航の再開を目指すとしていた〔たこフェリーにお別れ 半世紀の航路休止、最終便見送 アサヒ・コム 2010年11月16日〕。 2011年10月20日、明石淡路フェリーの代替としてバイク(排気量125cc以下)・自転車・旅客を対象とした小型フェリーの導入・運航を明石市・淡路市の協議にて調整していると報道があったが、2011年10月24日には、淡路市の門康彦市長と明石市の泉房穂市長の会談により、小型フェリーによる運航再開計画は事実上撤回された。 2014年1月に神戸市で行われた「明石海峡海上交通に関する協議会」において、2015年夏を目途に明石 - 岩屋航路に125cc以下の二輪車・自転車を輸送できる100トン級の高速旅客船を就航させることで関連自治体が合意、新しい旅客船は淡路市によるプロポーザル入札によりツネイシクラフト&ファシリティーズが4億7520万円で受注し、運航業務は2015年7月1日から5年間の予定で淡路ジェノバラインに委託することになっている。その後、新造船「まりん・あわじ」が8月2日(岩屋港14時出航)より就航、125cc以下の二輪車の航送は明石港浮桟橋完成後の9月23日から開始予定とし、当分の間は人と自転車の航送を行う。 高速舞子〜岩屋ポート間の海峡シャトルバスと明石淡路フェリーが運行休止となった現在は本州と淡路島の岩屋地区との間の交通は高速船のみである(岩屋地区から近隣の高速バス停留所、鵜崎・淡路ICまでは大きく離れている)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「淡路ジェノバライン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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