|
淮泗道(わいし-どう)は中華民国北京政府により設置された安徽省の道。 ==沿革== 1914年(民国3年)5月23日、清代の鳳潁六泗道地区に設置された。 道尹は鳳陽県に駐在し、下部に鳳陽、定遠、鳳台、懐遠、霊璧、寿県、宿県、阜陽、潁上、太和、霍城、渦陽、亳県、六安、英山、霍山、泗県、五河、盱眙、天長の21県を管轄した〔『政府公報』774号 1914年7月2日〕。1914年(民国3年)、鉄道の開通による省内交通の変化に従い、同年10月に淮泗道の六安、英山、霍山の3県が安慶道に移管され、安慶県の滁県、全椒、来安の3県が淮泗道に移管された〔『政府公報』869号 1914年10月5日〕。1927年(民国16年)に廃止されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「淮泗道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|