|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 南 : [みなみ] 1. (n,vs) South 2. proceeding south ・ 南部 : [なんぶ] 【名詞】 1. southern part ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 県 : [けん] 【名詞】 1. prefecture
タイの深南部(しんなんぶ)とは、マレーシアとの国境付近、南部のパッターニー県を中心とする地域を指す。具体的には、主にパッターニー県・ヤラー県・ナラーティワート県の三県(深南部三県)にある程度のマレー系住民の住むソンクラー県を加えてこう呼ぶ。 住民はマレー系が多く、現在でもタイからの独立を目指す動きがある。同じくマレー系住民の多いサトゥーン県については、歴史的に(、630年-1136年)やタイと親密な関係を保った(、1136年-現在)の支配する地域であったため、後述するがパタニ王国復興を掲げた運動には関わらないことが多く、テロ活動の文脈では含まれないことが多い。 注:以下の文では中立的な観点からマレー語的表記である“パタニ”を王国時代の表記あるいはマレー人的観点からの用語に対して遣い、タイ語的表記である“パッターニー”をタイ編入後の地名表記に使用した。 == 歴史 == === 初期の歴史 === 現在のタイ南部にはが存在した。この王国は現在のマレーシアのクダ州・クランタン州・トレンガヌ州、およびタイ国のパッターニー県(パタニ)・ヤラー県(ジョロール)・ソンクラー県(シンゴラ)・サトゥーン県(ストゥール)を領有していた。この王国は初期にはヒンドゥー教を国教としていたが、イスラーム化が進行し〔マレー半島で最初のイスラーム化を示すトレンガヌ碑文が13世紀に現れる。〕、後の15世紀中期にイスラーム化した。 パタニ王国は、ヨーロッパや中国・日本との貿易により17世紀にはマレー半島の貿易の中心として黄金期を迎えたが、王国は常にスコータイ王国やアユタヤ王国の服属下にあったため独立を求めて度々争った記録がある。 パタニ王国は、パタニ王国内部の政争に加え、18世紀後半にはソンクラーに親タイ的な華人の政権が誕生しパタニに代わる交易拠点として発展を遂げたため、その貿易拠点としての価値が減じた。その後マレー半島を狙っていたタイに進出の機会を与えてしまう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深南部 (タイ)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Patani (region) 」があります。 スポンサード リンク
|