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近衛 基平(このえ もとひら)は、鎌倉時代中期の公卿。従一位、関白、左大臣。号に深心院、西谷がある。通称は深心院関白(しんしんいん かんぱく)。摂政近衛兼経の長男。 日記に「深心院関白記」がある。 == 来歴 == 建長3年(1251年)8月、五帝本紀を上達座において読む〔『岡屋関白記』建長3年8月11日条〕。 建長7年(1255年)僅か10歳で従三位・権中納言に叙任される。12月には左近衛大将を兼任。 建長8年(1256年)正三位に叙される。正嘉元年(1257年)従二位・権大納言に叙任。正嘉2年(1258年)には正二位・内大臣、弘長元年(1261年)には右大臣に昇る。弘長3年(1263年に従一位に陞叙され、同年中に一上となる。文永2年(1265年)左大臣となり、文永4年(1267年)関白を務める。 文永5年(1268年)11月15日頃に痢病を患い〔『民経記』文永5年11月15日条〕、19日薨去。享年23。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近衛基平」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Konoe Motohira 」があります。 スポンサード リンク
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