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深澤 多市(ふかさわ たいち、1874年(明治7年)4月18日 - 1934年(昭和9年)12月20日)は、郷土史家で民俗学研究家、『秋田叢書』・『別集 菅原真澄集』の編者。号は紫水。 == 経歴 == 深澤多市は1874年、秋田県仙北郡畑屋村金沢東根(現・美郷町)に深澤周吉の長男として生まれる。仙北郡六郷町(現・美郷町)の熊谷松陰について国漢学を学び、ついで同郡飯詰村(現・美郷町)の私塾・酔経学舎で狩野徳蔵(旭峰)から漢籍の教授を受けた。1892年(明治25年)に上京、東京二松学舎で1894年まで漢文学を修めた。1899年(明治32年)仙北郡役所に入り、次いで秋田県属、宮城県属、京都府属を歴任、京都府熊野郡長を最後に退官し、1921年(大正10年)帰郷して飯詰村の飯詰駅前に住んだ。この間、『秋田県史』(大正版)の編集に加わり、京都で歴史学の喜田貞吉博士の知遇を得、また民俗学の柳田國男と交わりを深くした。 帰郷後は秋田県の県史蹟名勝記念物調査委員を嘱託された。1925年(大正14年)、平鹿郡横手町(現・横手市)の助役に就任したが、1931年(昭和6年)、病により職を辞してのちはいっそう郷土史研究に没頭した。 史資料蒐集の途中の1934年に病没。墓は横手市睦成の無量寿院墓地。畑屋村(現在の美郷町千畑地区)に顕彰碑がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深澤多市」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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