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深澤 美和(ふかさわ みわ、1986年10月2日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。兵庫スイングスマイリーズに所属していた。 ==概要== 浮島少年野球団で野球をはじめ、その後富士シニアに進み、浮島中学校と加藤学園高校ではソフトボール部に所属した。 中京女子大学硬式野球部では、創部時の部員のひとりとして事実上の初代主将を務め〔本来の初代主将・新原千恵が1年時(つまり公式戦デビュー前)に退学したため、深澤がその座を引き継ぎ、その後、主将の背番号である「10」を、卒業まで3年間背負い続けた。〕、投手や遊撃でプレーした〔【よこ顔】野球人・深澤美和さん=中京女子大学 - PJNews・2007年10月6日〕。大学4年間の成績は、女子単独チームで男子のいるチームに挑んだこともあり、0勝45敗だった。最後の試合では後輩に勝たせてあげたかったと涙を流した。 その後日本プロスポーツ専門学校硬式野球部では、唯一の女子部員として他の男子部員と共に試合に出場した〔女子プロ野球選手誕生 - 日本プロスポーツ専門学校硬式野球部ニュース・2009年11月25日〕 〔元年のヒロイン11 深沢美和が男子と戦った経験生かす,スポーツ報知,2010年1月12日 〕。 専門学校卒業後は教員を目指すつもりだったが、両親の後押しで2009年の日本女子プロ野球機構のトライアウトを受験し、合格〔第1回合同トライアウト合格者発表について - 日本女子プロ野球機構〕。同年12月に行われたドラフト会議で京都アストドリームスから内野手部門4順目で指名を受け、加入が決定。プロ1年目は主にセカンドとして全試合に出場し、打率.282を記録した。同年オフに中村茜と共に、小久保志乃・松本育代との交換トレードで兵庫スイングスマイリーズに移籍した〔女子プロ野球リーグ初代MVPに川保麻弥 〕。兵庫の二塁手には(3割5分ほど打っていた松本育代の故障もあって)深澤と同等の成績を残した田中幸夏がいたた。 2011年、田中との競争に敗れ、正遊撃手厚ヶ瀬がマウンドに立つ際の控え内野手との位置づけで開幕を迎えるが、開幕早々に投手・厚ヶ瀬が不振により登板機会がなくなり、深澤には出番がほとんどなくなった。結局2年目の深澤はわずか18試合の出場に留まった。同年12月13日、日本女子プロ野球機構より退団が発表され、同月16日に、戦力外が理由であったことが発表された。 2012年4月からは、至学館高等学校女子硬式野球部ならびに至学館大学女子硬式野球部の監督に就任した〔至学館高校・至学館大学 女子硬式野球部監督 深澤美和さん - 東海ラジオ 1332kHz チア・スポ・2012年3月23日〕。なお、至学館の前身は中京女子大学である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深澤美和」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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