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混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)、略称疆理図(きょうりず)とは1402年に李氏朝鮮で作られた地図。名称は「歴史上の首都一覧図」を意味する。(「混一」はひとまとめ〔旺文社『漢和辞典』第5版、p.620、1993年(参照したのは1994年の重版)〕を、「疆」は国境あるいは国土〔旺文社『漢和辞典』、p.710〕を意味する。)混一疆理図と略されることもあるが、後述する清浚による『混一疆理図』と紛らわしいため、あまり使われない。1402年という作成年は、下に書かれている奥付に基づく。現存するものは写本のみであり、それに書かれている地名から類推すると、遅ければ1592年の情報が混入している可能性もある〔長崎県ホームページ混一疆理歴代国都地図 2008年3月7日確認〕。 これはモンゴル帝国を表した地図としても有名であり、イスラムの先端科学と中国の先端科学が統合してできたものである〔(Miya:2006)〕。この地図は西はアフリカ、ヨーロッパから東は日本まで、いわゆる旧世界全体を表している。この地図は、15世紀末まで、世界地図としてヨーロッパのものよりも優れていた〔Peter Jackson, "The Mongols and the West", p.330〕。 == 現存する写本 == 現存するものはわずか2つであり、いずれも日本にある。 現在龍谷大学が所有するもの(同大学大宮図書館所蔵。以後「龍谷大学図」と表記)は、20世紀初頭から近代的学問の手法での研究対象になっている。大きさは163cm×158cmで、絹布の上に描かれている。龍谷大学本は朝鮮半島で作られた写本と見られるが、いつごろ日本にもたらされたかは分かっていない。大谷光瑞が買い求めたという説と、16世紀末の文禄・慶長の役の際に獲得したものを豊臣秀吉が西本願寺に与えたという説がある。 もう一つは1988年に長崎県島原市の本光寺で発見されたもの(以後「本光寺図」)である。これは龍谷大学図よりもかなり大きい280cm×220cmである。本光寺図は江戸時代の日本で複写されたものと見られる。 日本には、さらに疆理図に関連する地図が2つある。熊本の本妙寺にある「大明国地図」、天理大学にある「大明国図」である。この2つは後年にオリジナルから複写したものと見られる。最も大きな違いは、中国の表記が「元」であるところが「明」となっていることである。 寺に伝わっている話によると、本妙寺の地図は加藤清正が文禄・慶長の役に際して豊臣秀吉から賜ったものということになっている。しかしながら、朝鮮王朝側の証言として1593年に記された宣祖実録によると、「加藤清正に降伏した朝鮮官僚の息子が中国と韓国の地図の複写を提供した」との記録があり、これが本妙寺の地図である可能性がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「混一疆理歴代国都之図」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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