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blended cement =========================== ・ 混合 : [こんごう] 1. (n,vs) (1) mixing 2. mixture 3. (2) miscegenation ・ 合 : [ごう] 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m)
セメント (Cement) とは、一般的には、水や液剤などにより水和や重合し硬化する粉体を指す。広義には、アスファルト、膠、樹脂、石膏、石灰等や、これらを組み合わせた接着剤全般を指す。 本項では、モルタルやコンクリートとして使用される、ポルトランドセメントや混合セメントなどの水硬性セメント(狭義の「セメント」)について記述する。 == 歴史 == セメントの利用は古く、古代エジプトのピラミッドにもモルタルとして使用されたセメント(気硬性セメント)が残っている。水酸化カルシウムとを混合すると水硬性を有するようになることが発見されたのがいつごろなのかは不明だが、古代ギリシアや古代ローマの時代になると、凝灰岩の分解物を添加した水硬性セメントが水中工事や道路工事などに用いられるようになった〔 Hill, Donald: ''A History of Engineering in Classical and Medieval Times'', Routledge 1984, p106〕。そういった時代には自然に産出するポゾラン(火山土や軽石)や人工ポゾラン(焼成した粘土、陶器片など)を使っていた。ローマのパンテオンやカラカラ浴場など、現存する古代ローマの建物にもそのようなコンクリート(ローマン・コンクリート)が使われている〔PURE NATURAL POZZOLAN CEMENT 〕。ローマ水道にも水硬性セメントが多用されている〔Aqueduct Architecture: Moving Water to the Masses in Ancient Rome 〕。ところが、中世になるとヨーロッパでは水硬性セメントによるコンクリートが使われなくなり、石壁や石柱の芯を埋めるのに弱いセメントが使われる程度になった。 現代的な水硬性セメントは、産業革命と共に開発され始めた。これには以下の3つの必要性が影響している。 * 雨の多い季節に建物の表面仕上げをするのに水硬性の漆喰が必要とされた。 * 海水にさらされるような築港工事などで水硬性のモルタルが必要とされた。 * より強いコンクリートの開発。 産業革命時代に急成長を遂げたイギリスでは、建築用のよい石材の価格が上がったため、高級な建物であってもレンガ造りにして表面を漆喰で塗り固めて石のように見せかけるのが一般化した。このため水硬性の石灰が重宝されたが、固まるまでの時間をより短くする必要性から新たなセメントの開発が促進された。中でもパーカーのローマンセメントが有名である〔A J Francis, ''The Cement Industry 1796-1914: A History'', David & Charles, 1977, ISBN 0-7153-7386-2, Ch 2〕 。これはジェームズ・パーカー (James Parker) が1780年代に発明し、1796年に特許を取得した。それは実際には古代ローマで使われていたセメントとは異なるが、粘土質の石灰石を1000 - 1100 ℃と推定される高温で焼成し、その塊を粉砕して粉末としたセメントであり、天然の原料をそのまま使っていた。これを砂と混ぜたものがモルタルとなり、5分から15分で固まった。このローマンセメントの成功を受けて、粘土と石灰を人工的に配合して焼成してセメントを作ろうとする者が何人も現れた。 イギリス海峡の三代目エディストン灯台の建設(1755年 - 1759年)では、満潮と満潮の間の12時間で素早く固まる上に、ある程度の強度を発揮する水硬性モルタルを必要とされた。この時土木工学者のジョン・スミートンは生産現場にも出向き、入手可能な水硬性石灰の調査を徹底的に行ったことで石灰の「水硬性」は原料の石灰岩に含まれる粘土成分の比率と直接関係していることに気づいた。しかし土木工学者のスミートンはこの発見をさらに研究することはなかった。この原理は19世紀に入ってルイ・ヴィカーにより再発見されたが、明らかに彼はスミートンの業績を知らなかったと思われる。1817年、ヴィカーは石灰と粘土を混合し、それを焼成して「人工セメント」を生産した。ジェームズ・フロスト〔Francis ''op. cit.'', Ch 5〕はイギリスで「ブリティッシュセメント」と呼ばれるほぼ同じ製法のセメントを同時期に開発したが、特許を取得したのは1822年だった。1824年、イギリス・リーズの煉瓦積職人ジョセフ・アスプディンが同様の製法について特許を取得し、これを「ポルトランドセメント」と称した。このポルトランドセメントは今日のセメントの主流であり、単にセメントと言った場合、このポルトランドセメントを指すことが多い。ポルトランドセメントのスペルは、Portland cementであり、アスプディンはイギリス人であり、イングランドのポートランド島特産の石灰石の色調に似ていたことから、Portland cementと命名された。 これらの製品は石灰とポゾランによるコンクリートに比べると、固まる時間が速すぎ(施工可能な時間が不十分)固まった直後の強度が不十分だった(型枠を外すのに数週間かかる)。天然セメントも人工セメントも、その強度は含有するビーライト(Ca2SiO4)の比率に依存する。ビーライトによる強度は徐々に高まっていく。1,250 ℃ 以下で焼成されているため、現代のセメントで素早く強度を発揮するエーライト(Ca3SiO5)を含んでいない。エーライトを常に含有するセメントを初めて製造したのは、ジョセフ・アスプディンの息子ウィリアム・アスプディンで、1840年代のことである。こちらが今日も使われているポルトランドセメントと同じものである。ウィリアム・アスプディンの製法には謎があったため、ヴィカーやI・C・ジョンソンが発明者だとされていたが、ウィリアムがケントのノースフリートで作ったコンクリートやセメントに関する最近の調査〔P. C. Hewlett (Ed)''Lea's Chemistry of Cement and Concrete: 4th Ed,'' Arnold, 1998, ISBN 0-340-56589-6, Chapter 1〕で、エーライトをベースとしたセメントであることが判明した。しかしウィリアム・アスプディンの製法は「大雑把」なもので、現代的セメントの化学的基盤を確立したのはヴィカーと言っていい。またジョンソンは、混合物を窯の中で焼成することの重要性を確立した。 ウィリアム・アスプディンの行った改良による製法では(父が集めるのに苦労していた)石灰をより多く必要とし、窯の温度もより高くする必要があり(そのため燃料も多く消費する)、出来上がったクリンカーは硬すぎて石臼がすぐに磨り減ってしまうという問題があった(当時、クリンカーを粉にする方法は石臼しかなかった)。このため製造コストがかなり高くなったが、その製品は適度にゆっくり硬くなり、固まると即座に強度を発揮するもので、製造過程にデメリットがたくさんあっても用途が格段に広がった。1850年代以降、コンクリートが建築にどんどん使われるようになり、セメントの用途のほとんどを占めるようになった。 日本では、幕末の頃に高価なフランス製のポルトランドセメントを輸入したのが最初とされる。 1875年(明治8年)、日本で最初の官営セメント会社である深川セメント製造所にて、当時の工部省技術官宇都宮三郎がポルトランドセメントの製造に成功した。その後、1884年にこの工場は民間に払い下げとなり、日本セメント(現在の太平洋セメント)となった。また、1881年には山口県小野田市に、民営セメント工場として最初のセメント製造会社小野田セメント(現在の太平洋セメント)が誕生した。当時の生産高は両工場で月産約230t程度であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セメント」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cement 」があります。 スポンサード リンク
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