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清原 春光(きよはら の はるみつ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。内蔵允・清原深養父の子。官位は従五位下・下総守。 == 人物と系図上の位置 == 各種系図に内蔵允・清原深養父の子として「従五位下・下総守」の官位が記されている以外の経歴は未詳。弟に「深養父二男」の注記を持つ清原重文がおり、長男とみられる〔清原重文は、系図上「出羽清原氏」の租とされる人物。詳細は不明。〕。 子に「梨壺の五人」の1人として著名な歌人・清原元輔、孫に清少納言がいる。元輔は歌人でありながら諸国の国司を歴任した受領でもあった〔五味文彦『「枕草子」の歴史学』(2014)p.92〕。 一部の系図では名を「下野守・顕忠」としているが、岸上慎二はそれに対し、『清少納言伝記攷』において『大日本史』に清原元輔の経歴を「内藏允深養父孫、下総守春光子也」としていることを引用し、同時代で一字違いの正四位下・藤原元輔の父(富小路右大臣を号した従二位・藤原顕忠)と混同されたことによる誤りとした。岸上説を受け、現在では「春光」の名が正しいとする見解が有力である。ただし、一部の系図には春光・顕忠のいずれも名がなく、深養父を元輔の父とするものがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清原春光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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