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清岡 公張(きよおか ともはる、1841年8月26日(天保12年7月10日) - 1901年(明治34年)2月25日)は、幕末の武士、明治時代の官僚。従二位勲一等子爵。通称は半四郎、号は東望。 == 略歴 == 1841年、土佐藩郷士の子弟として土佐国安芸郡田野浦に生まれる。伊勢へ遊学し、のちに上洛して諸藩の勤王の志士と交わった。文久年間に上京し、藩命により三条実美の衛士となる。八月十八日の政変による七卿落ちの際には、七卿に同行して長州藩に亡命する。禁門の変では長州藩と共に参戦するが敗北し、再び長州へ逃れている。 維新後は新政府に出仕し、地方官を皮切りに、元老院議官や宮内省図書頭、枢密顧問官、貴族院子爵議員などを歴任した。1887年には維新の功により子爵を授けられた。1890年10月20日、錦鶏間祗候となる〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。1891年、勲一等瑞宝章。 1901年2月、死去。享年60。墓所は、東京都文京区の護国寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清岡公張」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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