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清崎 敏郎(きよさき としお、1922年2月5日 - 1999年5月12日)は、俳人、国文学者。本名は星野敏郎。 == 生涯 == 東京市赤坂区(現・港区赤坂)に生まれる。東京府立第一中学校(現・日比谷高等学校)在学中に結核性股関節炎にかかり、療養生活を送る中で句作を始めた。1940年、富安風生が選者をしていた読売俳壇の選に入り、これをきっかけに風生の主宰誌「若葉」に投句、風生に師事する。1942年、慶應義塾大学文学部に入学、折口信夫、池田弥三郎のもとで民俗学を学ぶ。 1943年、父の知人であった高浜年尾に俳句の指導を受け、年尾を介して高浜虚子に会う。同年「ホトトギス」に投句し初入選。1946年、楠本憲吉、大島民郎らとともに慶大俳句研究会設立、会誌として「慶大俳句」を発刊。1947年、同年代の深見けん二らとホトトギス新人会を結成。1948年、慶応大学を卒業し、同付属中等部(1956年より高等学校)の教員となる。慶応大学および同大学院でも教鞭をとった。 1952年、「玉藻」研究座談会発足と同時に参加、虚子から直接教えを受ける。1959年「ホトトギス」同人。1979年、富安風生が死去し、風生の意向に従い「若葉」主宰を継承。同年読売俳壇選者。1997年、句集『凡』で俳人協会賞受賞。1999年5月12日死去、77歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清崎敏郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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