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清水 世津(しみず せつ、1943年12月5日 - )は、日本の女優である〔キネ旬, p.357.〕〔''清水世津''、''jlogos.com'', エア、2014年9月29日閲覧。〕〔キネ旬, p.6, 9, 18, 24, 26, 39, 53, 67, 103, 107-108, 115, 117, 122.〕〔年鑑, p.326-333.〕〔年鑑, p.136-138, 153-154.〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年9月29日閲覧。〕〔''Setsu Shimizu'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年9月29日閲覧。〕〔''清水世津''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年9月29日閲覧。〕〔''清水世津''、日本映画情報システム、文化庁、2014年9月29日閲覧。〕〔''清水世津''、KINENOTE, 2014年9月29日閲覧。〕〔''清水世津''、allcinema, 2014年9月29日閲覧。〕〔''清水世津''、日本映画データベース、2014年9月29日閲覧。〕〔''清水世津''、日活、2014年9月29日閲覧。〕〔''清水世津''、デジタル・ミーム、2014年9月29日閲覧。〕。本名は不明。1965年(昭和40年)7月3日、成人映画『女にして』(監督経堂三郎)でデビュー〔〔、独立系成人映画の黎明期の女優として知られ〔〔、1967年(昭和43年)12月26日に公開された「日本初の立体映画」とされる『変態魔』(監督関孝二)に主演したことでも知られる〔〔。 == 人物・来歴 == === 成人映画の時代 === 1943年(昭和18年)12月5日、第二次世界大戦中に神奈川県藤沢市に生まれる〔〔〔。 1962年(昭和37年)3月、富士見丘高等学校(現在の横浜富士見丘学園中等教育学校)を卒業する〔〔。卒業後は、一般企業に就職したが、その後、民間放送のためのタレント養成所である電通テレビタレントセンターに所属した〔〔。『日本映画俳優全集・女優編』によれば、1965年(昭和40年)7月3日に公開された高尾ゆり主演による成人映画『女にして』(監督経堂三郎)に「美容師」役で助演して、満22歳でデビュー、としている〔〔。ただし同時代資料であり、清水本人に取材した『Pinkyパンチ』8月創刊号(1970年)の記事には、「昭和38年12月デビュー」(1963年)との記述がある〔''絵亜甚のママは色っぽいピンク女優''、『Pinkyパンチ』8月創刊号、檸檬社、1970年8月発行。〕。当初は助演であったが、1966年(昭和41年)4月12日公開の『熱い渇き』(監督経堂一郎)、同年11月公開『悪女志願』(監督湯浅浪男)あるいは『処女?戦慄』(監督経堂一郎)、1967年(昭和42年)4月公開の『』(監督奥脇敏夫)で主演女優となる〔〔〔。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩、佐伯秀男の名を挙げているが、清水の名は挙げられていない〔田中, p.85-86.〕。しかしながら清水は、同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた人物のうち、西原儀一が初めて成人映画界に進出した年に、西原の監督作『第三の情事』(「千葉隆志」名義)、『チコという女 可愛い肌』の2作に立て続けに出演しており〔、2014年9月29日閲覧。〕、独立系成人映画の黎明期の女優であるといえる〔〔。 1966年(昭和41年)9月、国映が香取環、松井康子、谷口朱里、可能かず子、飛鳥公子、美矢かほる、奈加公子、桂奈美、橘桂子といった成人映画スター女優を結集した『悲器』(監督湯浅浪男)を公開、清水もこれに出演した〔〔〔。1967年(昭和43年)12月26日に公開された「日本初の立体映画」とされる関孝二の監督作『変態魔』に主演している〔〔。ただしこの「日本初」は成人映画界におけるものであり、『飛び出した日曜日』(監督村田武雄、1953年4月22日)が先である〔トービジョン 飛び出した日曜日 、東宝、2014年9月29日閲覧。〕。1968年(昭和43年)には、まだ日活ロマンポルノ(1971年 - 1988年)を開始していなかった日活がいくつか成人映画に触手を伸ばしており、児井英生の青山プロダクションが製作した『女浮世風呂』(監督井田探、脚本山崎巌)に林美樹、辰巳典子、美矢かほる、大月麗子、谷ナオミ、乱孝寿、内田高子、火鳥こずえらとともに出演、同じく『ある色魔の告白 色欲の果て』(監督江崎実生、脚本山崎巌)に乱孝寿、林美樹、高月絢子、火鳥こずえ、辰巳典子、美矢かほる、橘桂子、大月麗子、高鳥和子、真湖道代らとともに出演、それぞれ同年7月10日、同年8月14日に公開された〔〔〔。当時、専門誌『成人映画』の編集長であった川島のぶ子は、「美人ではないが人妻、OL、ズベ公、コールガール、女医、小説家など役柄によっていかにもそれらしいムードを漂わせ、崩れた女、ことに酒場のマダムなどを演じさせたら天下一品」と演技力を評価、「ベッド・シーンの演技と表情には定評のある芸達者」と評した〔。 1969年(昭和44年)、「清水事務所」を設立して独立した〔。同じころ、新宿駅西口にスナック「絵亜甚」(Airgin)を開業している〔〔。1970年(昭和45年)に公開された『女教師の性教育』(監督山本晋也)、あるいは『王将定石松葉くずし』(監督武田有生)が、記録に残る最後の主演作であり出演作である〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。ただしこの時期の作品記録が掲載されている『映画年鑑 1973』において、独立系の映画作品については監督名や製作・配給会社名以外記載されておらず、この時期の出演者が概して不明である〔。渡辺護が、同年11月に発行された雑誌『映画芸術』に「五年前の女優でわずかに残ったのが、香取環に清水世津ぐらいである」と記しており、同年末の段階では、清水はまだ引退していない〔何が難しいことだって ピンク監督の弁 、渡辺護、2013年1月27日付、2014年9月29日閲覧。〕。『日本映画俳優全集・女優編』の川島のぶ子の記述によれば、「やがて結婚してスクリーンから姿を消した」という〔。同年末での引退であるとしても、満27歳であった〔〔〔。以降の消息は知られておらず、存命であれば2014年(平成26年)には満71歳である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清水世津」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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