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清水 市代(しみず いちよ、1969年1月9日 - 〔)は、日本将棋連盟所属の女流棋士。高柳敏夫名誉九段門下〔。女流棋士番号は7〔。通算女流タイトル保持は43期〔で歴代1位であり、2016年2月現在、通算獲得数2位の里見香奈(獲得20期) 以下を大きく引き離している。 日本将棋連盟の棋士会副会長(2009年4月から)、日本将棋連盟女流棋士会会長(2015年6月から)。 東京都東村山市生まれ〔。東京都立清瀬高等学校卒業〔『天辺―将棋・女流トッププロの生き方』p.218 - 223〕。 == 棋歴 == ===女流棋士を目指す=== 小学3年生の時、自宅で将棋教室を営む父親に将棋の手ほどきを受ける。ただ、小学生の頃は外で体を動かして遊ぶ方が好きな少女であり、遊びで怪我して以来将棋に向き合うようになり、将棋に本気で取り組むようになったのは中学に入ってからだった〔婦人公論 1998年12月7日号 p.179 - 181〕。 理数系の科目が得意で、女流棋士になる以前は数学の教師になりたいという気持ちも持っていた〔。 1983年、中学3年生のときに第15回女流アマ名人戦で優勝。女流棋士となった者の中には、中井広恵、林葉直子、矢内理絵子、千葉涼子、甲斐智美ら、男女の区別がない棋士を目指して奨励会に在籍した経験がある者もいるが、清水の場合は奨励会の経験はない〔道新TODAY(北海道新聞社)2002年4月号 p.152〕。 父親は、礼儀作法については厳しかったものの、将棋は勝ち負けにこだわるよりも楽しんでほしいという方針だったため、娘がプロになろうとしたことに最初は反対だったという〔。 中学3年の終わり頃、高柳敏夫八段(当時)に入門〔。年齢的に遅めのスタートだったが、高校2年生に上がった1985年4月1日に女流棋士(女流2級)となる〔〔。これは女流育成会制度による初めてのプロ入りとなった。初期の女流育成会制度では、女流育成会の上位者と、女流棋士のなかの成績下位者との入れ替え戦が実施されていた。この入れ替え戦を勝ち抜いて女流棋士になったのは、清水市代だけである〔『天辺―将棋・女流トッププロの生き方』p.48 - 50〕。なお、高柳には「タイトルをとるまで、恋も化粧もするな」とよく言われたという〔週刊朝日 1996年7月19日号 p.37 - 39〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清水市代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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