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清水 晶(しみず あきら、1916年 - 1997年〔銀幕の顔 、国立国会図書館、2010年2月22日閲覧。〕)は、日本の映画評論家、編集者である。『映画評論』編集長、フィルム・ライブラリー協議会(のちの川喜多記念映画財団)事務局長、川喜多記念映画財団常務理事、慶應義塾大学講師等を歴任した〔『銀幕の顔』、p.230(奥付)。〕。 == 人物・来歴 == 1916年(大正5年)、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる〔。 東京帝国大学(現在の東京大学)文学部美学科に入学、在学中の1938年(昭和13年)、映画評論を開始する〔。1941年(昭和16年)、同学を卒業、日本映画雑誌協会に勤務する〔。1942年(昭和17年)、中国の上海に渡り、中華電影公司に入社する〔。1943年(昭和18年)、帰国し、『映画評論』誌の編集長に就任する〔。1944年(昭和19年)、松竹大船撮影所に入社、企画部に勤務する〔。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、モーション・ピクチュア・ライブラリーの編集長となり、アメリカ映画を中心に、英和対訳シナリオを編集する〔。1949年(昭和24年)、再度、『映画評論』誌の編集長に就任する〔。 1951年(昭和26年)、東和映画(現在の東宝東和)に入社する〔。同社で、宣伝課長、製作部長を歴任する〔。1960年(昭和35年)、同社を退社し、フィルム・ライブラリー協議会(のちの川喜多記念映画財団)の事務局長に就任する〔。その傍ら、1971年(昭和46年)から慶應義塾大学で講師として映画史の教鞭をとる〔。 東宝東和の社史編纂に携わり、『東和の半世紀』を1978年(昭和53年)に同社から上梓した〔〔東和の半世紀 、国立国会図書館、2010年2月22日閲覧。〕。 1982年(昭和57年)、フィルム・ライブラリー協議会が川喜多記念映画財団を改称、財団法人に改組し、常任理事に就任、事務局長を兼務する〔。同年、慶應義塾大学講師を退任した〔。 1997年(平成9年)、死去した〔。満80-81歳没(享年82)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清水晶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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