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清水比庵 : ミニ英和和英辞書
清水比庵[しみず ひあん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

清水 : [せいすい, しみず]
 【名詞】 1. (1) spring water 2. (2) clear (pure) water
: [ひ]
  1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines 
: [いおり]
 【名詞】 1. hermitage 2. retreat 

清水比庵 : ウィキペディア日本語版
清水比庵[しみず ひあん]

清水 比庵(しみず ひあん、1883年明治16年)2月8日 - 1975年昭和50年)10月24日)は、日本歌人書家画家政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。
== 経歴 ==
岡山県上房郡高梁町(現・高梁市弓之町)に生まれる。高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1908年(明治41年)京都帝国大学(現・京都大学)法学部を卒業。司法官として神戸地方裁判所へ勤務。翌1909年に退官し、安田銀行に入行。1927年(昭和2年)に古河電気工業会社に勤務。翌1928年に日光精錬所に勤める。処女歌集『夕暮』を「清水匕舟」の名で刊行する。1929年に歌誌『二荒』を創刊、主宰となる。

1930年要請を受け栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)の町長となり、日光の観光行政の基礎を作り上げた。1935年に、萩原朔太郎岡本かの子中河与一等を中禅寺湖畔に招き「慈悲心鳥を聴く会」を主催し、「歌人町長」と呼ばれた。この年、号を「比庵」に改める。1939年に部下の不祥事により町長を引責辞任し千葉県市川市に移る。歌誌『二荒』が友誌の『下野短歌』に合併、その主宰となる。町長辞職後は和歌、書などの創作活動に専念する。
戦後になると、1958年に日光市名誉市民となる。1966年宮中歌会始の召人となる。この時の御題は「声」であった。1968年に地方の歌誌であった『下野短歌』が全国的規模に発展し『窓日』と改称、その主宰となる。1971年に高梁市名誉市民となる。1975年東京にて逝去。享年92。墓所は岡山県笠岡市の威徳寺。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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