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清水清一朗 : ミニ英和和英辞書
清水清一朗[しみず せいいちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

清水 : [せいすい, しみず]
 【名詞】 1. (1) spring water 2. (2) clear (pure) water
: [いち]
  1. (num) one 

清水清一朗 : ウィキペディア日本語版
清水清一朗[しみず せいいちろう]

清水 清一朗(しみず せいいちろう、1947年4月23日 - )は、日本政治家。元衆議院議員(1期)。
== 経歴 ==
東京都東村山市諏訪町に農業清水米吉(1965年、精心幼稚園を創設。学校法人精心学園精心幼稚園前理事長兼園長)の次男として生まれる。東京都立小平高等学校を経て、日本大学法学部経営法学科卒業。東京相互銀行に勤務の後、義父の自由民主党衆議院議員小澤潔の公設第一秘書となる。
* 1993年 東京都議会議員選挙に北多摩1区から自由民主党公認で出馬し初当選。
* 1996年 第41回衆議院議員総選挙東京20区から自由民主党公認で出馬するも落選(当選者は新進党公認の大野由利子(元公明党))。大野との得票差は977票(大野55559票・清水54582票)で惜敗率は全国第1位となる98.24%であったが、比例東京ブロックでの復活当選はならなかった。
* 2000年 第42回衆議院議員総選挙に東京20区から自由民主党公認で再出馬しようとしたが、自公連立政権による候補者調整により、現職の大野由利子が与党候補(公明党公認)として立候補することになった。このため自民党支部長でありながら自民党公認が得られず、無所属で立候補。地元の自民党都議・市議の支援を受けるも大敗(一方の大野も落選となり、与党系候補の共倒れとなる。東京20区の当選者は民主党公認の加藤公一であった。大野は政界引退)。
* 2003年 第43回衆議院議員総選挙に自民党公認を得て再度立候補。公明党は東京20区への候補者擁立を行わず撤退したものの、過去の経緯から清水を推薦しなかった。清水は再び落選。惜敗率73.47%で比例代表でも落選した(東京20区の当選者は民主党公認の加藤公一)。
* 2005年 第44回衆議院議員総選挙無所属で出馬する方針であったが公示直前に出馬を取り下げ、公募候補者の木原誠二に選挙区を譲り自民党の比例東京ブロック30位で初当選。この時に初当選したいわゆる「小泉チルドレン」と83会を組織した。
* 2006年 自民党再チャレンジ支援議員連盟に参加した。
* 2008年 小選挙区からの立候補を希望し、麻生太郎首相とともに写った写真を用いたポスターを東京20区内で張り出すなど小選挙区からの立候補を前提とした活動を始める。
* 2009年 前回総選挙に引き続き木原誠二が東京20区で出馬することが決まり、清水は比例東京ブロック公認候補となった。清水は名簿上位搭載を期待したものの7月、再び比例単独下位での出馬を打診された。このことに不満を持ち、麻生首相に反旗を翻した中川秀直鳩山邦夫による新党結成に期待したものの、彼らが矛を収め不発に終わったため、8月10日、公認を辞退し自民党を離党。みんなの党公認で東京20区より出馬する方針を表明する。しかし8月17日、「目指す政策が違う」としてみんなの党から立候補しないことを明らかにし、選挙不出馬となった。今後も政治活動は続ける意向で、選挙再出馬についても否定するものではないとの考えを表明した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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