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清水 直右衛門(読み不明、生没年不詳)は、広島県出身の元サッカー選手、日本代表選手(全日本)。フォワード、ディフェンダー。 なお直右衛門は「なおえもん(Naoemon)」あるいは「すぐえもん(Suguemon)」などと読むが(松岡直右衛門/手代木直右衛門参照)、清水の場合はどう読むかは不明であり、日本サッカー協会が公表する資料でも記載されていないため、本記載内では姓名読みは省略する。 == 来歴 == 神戸高等商業学校(神戸高商)、鯉城蹴球団などに所属し、日本代表選手として1923年第6回極東選手権大会(大阪)の国際Aマッチ2試合に出場、1得点した〔。 鯉城蹴球団(鯉城クラブ)時代の1923年、大阪で行われた第6回極東選手権に日本代表となった関西サッカー倶楽部のメンバーに補強され、同大会の2試合(フィリピン、中華民国戦)にフル出場。中華民国戦でヘディングシュートを1得点決めた。日本の国際Aマッチ2ゴール目が広島出身者の代表初ゴール〔日本サッカー通史の試み(22) 極東選手権での敗退続くも代表チームには変化が 〕。1924年、1925年には鯉城蹴球団(鯉城クラブ)のメンバー、6人フォワードの一人として深山静夫らと第4回ア式蹴球全国優勝大会(天皇杯の前身)兼第1回神宮大会及び第5回ア式蹴球大会、第2回神宮大会の二連覇に大きく貢献した。 1925年のライバル・御影蹴球団との準決勝は、今でも「日本サッカー史上最大の紛糾試合」として語り草になっている。10月30日の準決勝は、両チーム譲らず1-1の引き分け。その日は日没となったので延長戦は翌10月31日に行なわれ、御影蹴球団が1点を奪取して2日がかりの試合に決着をつけたと思われたが、鯉城蹴球団から抗議が起こった。御影は前日負傷した選手に代わって、登録外の選手を出場させた、というアピールだった。延々6時間、話し合いは難航に難航を重ねた。結局、鯉城蹴球団の抗議が認められ再試合になったものの、これも引き分けとなり日没になった。11月1日朝8時から延長戦だけを行い、ようやく清水が決勝ゴールを挙げ3-2となり、3日がかり4試合のケリをつけた。選手全員はクタクタに疲れ切っていたが、翌11月2日の決勝戦は東京大学を3-0と一蹴して二連覇を果たした。 ※戦前の国際試合を日本サッカー協会は、Aマッチの認定をしていなかったが2007年6月、第6回以降の極東選手権大会を含む20試合をAマッチ認定に変更した。このため清水らの出場した第6回極東選手権対・フィリピン戦(1923年5月23日)が、日本の国際Aマッチ第一戦となった。清水の中華民国戦での得点は、前日フィリピン戦での清水隆三に次ぐ日本の国際Aマッチ2ゴール目となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清水直右衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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