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清水 藤太郎(しみず とうたろう、(1886年(明治19年)3月30日 - 1976年(昭和51年)3月1日))は、日本の薬学者、薬剤師。薬学博士。帝国女子医学薬学専門学校教授を経て、東邦大学薬学部教授(のち名誉教授)。神奈川県薬剤師会会長、中央薬事審議会委員、正倉院薬物調査員などを歴任。日本薬史学会を朝比奈泰彦らとともに設立。国際薬史学会アカデミー会員。日本薬学会名誉会員。 日本および各国の薬局方に精通し、薬学ラテン語、和漢薬、薬剤学、薬史学など多岐にわたる専門書を著した他、漢方医湯本求真に師事し、薬剤師の立場から漢方復興にも尽力した。 作家の北林透馬は義理の弟にあたる。 == 生い立ち == 清水藤太郎は、1886年(明治19年)宮城県仙台市で長尾喜平太の長男として生まれる〔木村雄四郎「清水藤太郎博士を悼む」『漢方と臨床』1976年、23巻、4号、pp216-217。〕。1902年〔天野により訂正〕(明治35年)家庭の事情から尋常中学校を中退し、仙台医学専門学校(現東北大学医学部・薬学部の前身)薬学科教授の佐野義職の助手として勤務しながら独学で勉強し、19歳で薬剤師国家試験(旧法である薬律下の薬剤師試験)に合格したが、未成年の薬剤師登録が認められなかったため、見習調剤師として県立宮城病院(現東北大学医学部付属病院)に勤務した後、20歳のとき、佐野義職の推薦で神奈川県衛生技手に就任して薬事衛生行政に従事する〔〔"平安堂薬局と薬学博士・清水藤太郎先生" 、平安堂薬局公式サイト(2009年8月13日閲覧)。〕〔横浜市、神奈川新聞社協編「家族の肖像3:日本薬学の祖ヘールツと清水藤太郎」『横濱』2005年、11号、pp73-76。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清水藤太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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