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清源寺は、愛媛県大洲市にある臨済宗妙心寺派の寺院。本尊は、釈迦牟尼仏像・文殊菩薩像・普賢菩薩像。 ==沿革== この寺は1511年(永正8年)、宇都宮家8代目 宇都宮遠江守豊綱(とおとうみのかみとよつな)が、泰政和尚を開山として創建した。 豊綱は戦国時代の大洲城城主であり、宇都宮家最後の当主となった。当時の伊予国内では道後方面を支配する守護の河野氏、宇和郡の西園寺氏に挟まれる位置にあり、国外からも土佐の一条氏、豊後の大友氏、中国地方の大内氏、後に毛利氏といった諸勢力が伊予への大きな関わりを持っていた。 西園寺氏との戦いでは、西園寺実充(さねみつ)の子公高(きんたか)を討ち取る武勇を見せたという。その後、姻戚関係にあった一条氏と結んで河野氏との対立を深めたが1568年(永禄11年)に毛利氏の援軍を受けた河野氏との鳥坂峠の合戦にて大敗を喫した。その後、毛利方に捕らえられて1585年(天正13年)に備後で病没したため清源寺に葬られることはなかったが、位牌は清源寺に祀られている。その戒名は、清源寺殿前遠州大守蓮翁華公大居士。 5代住職までは臨済宗南禅寺派だったが、6世瑤堂和尚が大禅寺3世融山和尚の法をついで、1712年(正徳2年)に臨済宗妙心寺派に転派した。 文政初期に失火により灰燼にきし1829年(文政12年)に再建されたが、老朽化が進み1989年(平成元年)に本堂・庫裡を一新した。 幕末には大洲で最も大きい寺子屋であり、多くの人材を輩出していて、境内には筆に感謝した筆塚が祀られている。 また山門の入り口には「願いがかなうお日限りさん」として多くの信仰を集めている日限地蔵尊が祀られており、終日、線香の煙が絶えない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清源寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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