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清瀬英次郎 : ミニ英和和英辞書
清瀬英次郎[きよせ えいじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せ]
 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

清瀬英次郎 : ウィキペディア日本語版
清瀬英次郎[きよせ えいじろう]

清瀬 英次郎(きよせ えいじろう、1902年(明治35年)12月14日 - 1941年(昭和16年))は、日本の映画監督脚本家である〔''清瀬英次郎''日本映画データベース、2012年11月9日閲覧。〕〔キネマ旬報、p.144-145.〕〔''清瀬英次郎''東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月9日閲覧。〕。
== 来歴 ==
1902年(明治35年)12月14日宮城県仙台市立町(現在の同県同市青葉区立町)に生まれる〔。本籍は山形県東置賜郡和田村(現在の同県同郡高畠町和田地区)にあった〔。仙台市立立町尋常小学校(旧制尋常小学校、現在の仙台市立立町小学校)、宮城県立仙台第二中学校(旧制中学校、現在の宮城県仙台第二高等学校)を卒業、旧制専門学校青山学院英文科(現在の青山学院大学)に入学する〔。
同学在学中に当時、松竹蒲田撮影所脚本部に在籍していた伊藤大輔の指導を受けつつ、脚本執筆の手伝いをはじめる〔。伊藤は、1923年(大正12年)には松竹キネマを退社し帝国キネマ演芸に移籍するが、清瀬は変わらず師事、池田義臣監督の『船頭小唄』(松竹蒲田、1923年)、若山治監督の『足跡』(帝国キネマ、1924年)、松本英一監督の『復讐鬼』(同左)は伊藤が脚本を書いたとされているが、実際には清瀬が書いたものだという〔〔、2012年11月9日閲覧。〕。1925年(大正14年)、青山学院を卒業と同時に伊藤の許を離れ、日活大将軍撮影所時代劇部の脚本部に入社する〔。辻吉郎監督の『逝く春は悲し』『炬火を翳して』等の脚本を書き、3か月で助監督部に異動、池田富保作品に就く〔〔。1926年(大正15年)の後半には、伊藤も同撮影所に入社してきている〔。
1927年(昭和2年)には監督に昇進、谷崎十郎を主演に『紀雲乱舞』(のちの『紅雪乱舞』)を撮り始めるが、谷崎の降板で一旦製作を中断している〔紅雪乱舞 日活、2012年11月9日閲覧。〕。仕切りなおして、『半九郎捕物帳 剣』で監督デビューとなり、同年5月6日に公開された〔〔。同年10月1日に公開された池田富保の大作映画『建国史 尊王攘夷』では、再度チーフ助監督を務め「監督補」とクレジットされた〔〔。同作のセカンド助監督は渡辺邦男、サードは益田晴夫であった〔。『紀雲乱舞』は、タイトルを『紅雪乱舞』、主演を葛木香一に改めて製作再開、1928年(昭和3年)3月25日に公開された〔。
当時、山中貞雄は清瀬の監督作『銀の蝙蝠』(1928年)を気に入り、1929年(昭和4年)夏、徴兵された折には清瀬の動向をつねに気にしており、「除隊の暁はきっと清瀬英次郎監督位になって見せる」と言っていたという〔加藤、p.106.〕。
1934年(昭和9年)には、開業したばかりの日活多摩川撮影所に異動、トーキーの現代劇を撮る〔〔。1938年(昭和12年)7月13日に公開された『アパート交響曲』をもってしばし同撮影所を離れ、同年、南方に徴用され、小説家の土師清二中村武羅夫甲賀三郎湊邦三野村愛正小山寛二、劇作家の長谷川伸関口次郎菊田一夫北条秀司、映画監督の衣笠貞之助、音楽家の中川栄三、写真家の小石清、童話作家の天野雉彦とともに「南支従軍」に参加した〔南方徴用作家 神谷忠孝北海道大学、2012年11月9日閲覧。〕。帰国後は撮影所に復帰、『花の舞曲』を監督して1939年(昭和14年)5月11日に公開された〔。同年8月3日に公開された『光われ等と共に』は、傷痍軍人をテーマにしたもので、発表当時、『キネマ旬報』誌上で激賞された〔〔。
1941年(昭和16年)1月30日、石川達三の小説を原作に千葉泰樹が脚本を書き、清瀬が監督した『母系家族』が公開されたが、この作品を最後に、正確な時期・原因は不明であるが、清瀬は死去した〔。満38歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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