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清道郡(チョンドぐん)は大韓民国慶尚北道の南部にある郡である。郡庁所在地は華陽邑。郡の南部は慶尚南道と境界を接している。 == 歴史 == * ~ 297年 - 伊西国 * 297年 - 伊西国、斯蘆(後の統一新羅)に滅亡。伊西郡3城を統合して大城郡 * 757年 - 3つの城(率已山城、駕山城、烏刀山城)を3県(烏岳県、荊山縣、蘇山縣)に改称。同時に梁山・密陽に分割編入。 * 940年 - 3県を統合して密城郡清道郡 * 1010年 - 嶺東道道州 * 1012年 慶州府道州 * 1018年 - 嶺東道密陽郡清道県、豊角県 * 1343年 - 清道郡を清道県に改編 * 1366年 - 密陽府清道郡 * 1405年 - 慶尚道清道郡 * 1895年6月23日(旧暦閏5月1日) 大邱府清道郡 〔勅令第98号地方制度の改正に関する案件(1895年旧暦5月26日)〕 * 1896年8月4日 慶向北道清道郡 〔勅令第36号地方制度と官制改正に関する案件(1896年8月4日)〕 * 1906年9月24日 大邱郡角北面(現在の清道郡角北面)・角県内面・角二東面(現在の豊角面)・角初東面(現在の角南面)を清道郡に編入。〔勅令第49号(1906年9月24日)〕 * 1911年 - 外西面(現在の密陽市清道面)を密陽郡に編入。 * 1914年4月1日 - 郡面併合により、清道郡に以下の面が成立。(10面)〔朝鮮総督府令第111号(1913年12月29日)〕〔道令第2号(1914年3月16日) :〕 * 華陽面・豊角面・角南面・伊西面・大城面・梅田面・終道面・雲門面・錦川面・角北面 * 1919年 - 大城面が清道面に改称(10面)。 * 1934年4月1日 - 終道面を廃止し、梅田面・錦川面に分割編入(9面)〔道令第83号(1933年10月6日)。 :〕 * 1949年8月13日 - 清道面が清道邑に昇格〔大統領令第156号邑設置に関する件(1949年8月13日)〕(1邑8面)。 * 1961年 - 郡庁を清道邑から華陽面に移す。 * 1979年5月1日 - 華陽面が華陽邑に昇格〔大統領令第9409号渼金邑等53ヶ邑設置に関する規定(1979年4月7日)〕(2邑7面)。 * 1992年1月1日 - 錦川面の一部が雲門面に編入(2邑7面)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清道郡」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cheongdo County 」があります。 スポンサード リンク
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