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清雲 栄純(きよくも えいじゅん、1950年9月11日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ラグビー選手、法政大学スポーツ健康学部教授〔スポーツ健康学部 > 教員紹介-法政大学HP 2012年5月3日〕。サッカー選手時代のポジションはDF。 == 来歴 == 中学時代までは野球をしていた。山梨県立日川高校入学後、クラス対抗ラグビー大会の活躍によりまずラグビー部からスカウトされ、その後サッカー部にも入り、両部をかけもちするようになる。サッカーでは県大会3位止まりだったが、主にフルバックやウイングとしてプレーしたラグビーでは3年生の時に全国高校ラグビー大会で準々決勝まで進出し、大会ベストフィフティーンにも選ばれた。高校時代の同級生には有賀健とジャンボ鶴田がいる。一般入試で法政大学社会学部社会学科へ入学し、在学中はサッカー部に入り、4年時にはキャプテンを務めた。 目立った実績がない無名選手だったため日本サッカーリーグ(JSL)のチームからの誘いはなかったが、巡回コーチとして各大学をまわっていた八重樫茂生の紹介によりテスト生として古河電気工業に入団する。1年目の1973年からポジションを確保すると、1974年から1976年まで3シーズン連続でJSLベストイレブンに選ばれ、1976年には古河のJSL初優勝に貢献した。1982年に引退するまでの10シーズンの通算成績は149試合6得点2アシスト。 日本代表には1974年6月6日の戦でデビュー。FIFAワールドカップ予選1大会、オリンピック予選2大会に出場した。 選手としての最終シーズンとなった1982年から兼任という形で古河のコーチを務め、1984年に監督に昇格した。1985年にリーグ優勝。また、アジアクラブ選手権1986で日本のチームとして初めての優勝に導いた。1992年から1994年までは日本代表のスタッフに入り、ハンス・オフトのもとでコーチを務めた。1994年から2シーズンは古河の後身にあたるジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)で監督を務めた。 1999年から大宮アルディージャでゼネラルマネージャー(2003年10月から12月まで、シーズン途中で解任された菅野将晃に代わり監督を兼任)、2004年からトータルアドバイザーを務めた。2004年度から母校の法政大学の教授に就任。2004年度から工学部に、2009年度から新設されたスポーツ健康学部に所属している。2012年12月、千葉の運営会社であるジェフユナイテッド株式会社の取締役に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清雲栄純」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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